ゆっくりと零れ落ちていく。
水のように、砂のように。音もなく着実に。
蝕んでいく、抜け落ちていく。
止める術を誰か教えて。










─霞みゆく思い出─










おいでおいでと手招かれて、誘われるままに隣に座った。
と、伸びてきた腕に引っ張られて、ぽすんと抱き込まれてしまう。

「花白」

呼ぶ声が心地よくて目を細めた。
髪を撫でる手がいつもよりも穏やかで、少し不思議に思いながらも。
そっと仰いだ月白の顔。
浮かぶ表情の昏さに、ぎょっと目を剥いた。

「……どう、したの……?」

掠れる声で問いを投げる。
答えようと開かれた唇、けれど言葉は飲み込まれて。
二度三度、緩やかに首が振られるだけ。

「具合でも、悪いの?」
「……ちがうよ」
「じゃあ、どうしたの?」

俯き加減の顔を覗き込むようにして。
額に触れようとしたら、抱き締められた。





「……月白……?」

変だよ、本当に。
いったい、どうしたって言うの?

問いを投げても答えは返らない。
ただ、花白、と繰り返し繰り返し名を呼ぶだけで。

「誰か、いたはずなのに」
「え?」
「こうやって、いっつも一緒にいたんだけど。誰だったろう」





忘れちゃったみたいなんだ。
花白なら、知ってるかと思って。
ねえ、知らない……?





不安定に揺れる声で、心細そうに問い掛けてくる。
知らない、なんて。言ってはいけない気がしたけれど。
それが誰だか解らないのに、知ってるなんて、言えもしない。

「……忘れないで」
「花白……?」
「絶対に、忘れないで。思い出してよ」

僕の知らないその人は、きっと、忘れちゃいけない人だから。
思い出して。一刻も早く。
忘れたりなんて、しないでよ。

「忘れられちゃうのは悲しいから。覚えてなきゃ、駄目だよ」

いつもと立場が逆じゃないか、なんて思ったけれど。
キョトンと丸くなった目が、ふっと笑みの形に和らいだ。

「……花白のことは、忘れないよ……?」
「あたりまえだろ」

ぎゅう、と力の込められた腕。
苦しいと訴えても、離してくれそうにないけれど。
思い出せるかな。
なんて声に、知らないよって、答えてやった。










大丈夫、思い出せるよ。
思い出せないって言うんなら、僕があんたのこと、忘れてやる。












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