花白、と。
呼ぶ声が聴こえる。
陽だまりに寝そべる猫のように目を細めて。
こちらの反応を面白がって、わざと煽るようなことを言って。

繰り返される日常。
飽き飽きしたとは言わないけれど、慣れ親しんだ遣り取り。
それが崩れてしまう日のことをなんて、いったい誰が想像出来ただろう。










─もう二度と─










異変はすぐに知れた。
はなしろは訳も解らず泣きじゃくり、それを宥める白梟の表情も硬い。
玄冬や黒鷹にしても気付いていないはずはないのだろうけど、
しばらく会っていないから解りようもなかった。

「花白」

呼ぶ声が聴こえた。
肩が跳ねる。
顔を上げることが出来ない。
振り返ることなんて、出来るはずもない。

「花白」

近付いて来る足音。
少し離れた位置で止まる。
名を呼ぶだけで、何も言わない。
落とされた沈黙が、いっそ痛いくらいに。

「……なんだよ」

耐え切れなくて吐き出した声は、掠れてた。
喉が、引き攣る。
泣き出したいのを堪えたせいで。





「大丈夫だよな?」





俺がいなくても。
音を伴わない声を聴き、弾かれたように振り返る。
太陽を背に立つ月白の表情は、逆光で伺えないけれど。
それでも、たぶん笑ってる。
泣きそうな顔で、嘘くさい笑みを貼り付けて。

「……あんたこそ」

僕がいなくて、大丈夫なの?
負け惜しみ、強がって、震える声で吐き捨てる。
わからないよ。
ゆるゆると首を振り、そんな言葉が返された。

「なん、だよ。それ……」
「解んないけど、大丈夫だって。そう信じるしか、ないだろ?」

ぱた、と小さな音がした。
みるみる浮かんだ涙が落ちて、床にぶつかりたてる音。
拭っても拭っても、止まってくれそうにない。





大きな手が、頬に触れた。
指の腹で水滴を拭い、そのまますっぽり抱き込まれる。

「花白」
「なんだよ」

追い付けなかった身長が憎らしい。
憧れに似た感情を抱いた、広い背中が恨めしい。

「好き。大好き。これからも、ずっと」
「……馬鹿じゃないの……」
「馬鹿だよ」

相手の胸に顔を埋めていたから、表情は窺い知れないけれど。
たぶん、笑った。そんな気がする。





ぽつ、と頭のてっぺんに、水。
顔を上げてはいけないのだろうと、額を押し付け俯いた。
背に回された腕が震えているように感じるのは、きっと自分が泣いているせい。
そう、思ってやることにして。











| | 一覧 | 目録 |