ゆらりふわふわ、夢心地。
半ば閉じた眼は蕩け、結ぶ焦点など捨て去って久しい。
総ての感覚は健在だというのに、何もかもが上滑る。
ゴトンと転ぶ酒瓶に伸ばした腕は空を掻いた。
─宿酔いの夏─
肩に触れる手を感じる。
名を呼んでいるらしい声は遠い。
何度となく揺さぶられ、時折頬がひやりと冷えた。
手、だろうか。嫌に冷たい。
薄い瞼を押し開けて、飛び込む光にぐらりと眩暈。
次いで襲うは鈍い頭痛と、羽虫の群れに突っ込んだかの如き耳鳴りと。
小さく呻いて顔を伏せれば、おい、と低い声がした。
「いい加減にしろよ、おまえ」
大声ではない。と、思う。
けれど嫌に頭に響いた。
恐る恐る、周囲を窺うように眼を開ける。
まず捉えたのは使い込んだテーブルの木目。
次いで転がるグラスと酒瓶。
そろそろと視線を上へ向ければ、仏頂面の愛息子。
「……やあ、玄冬」
「やあ、じゃあない」
酒瓶とグラスとを交互に眺め、はあ、と重い溜息を吐く。
その様を見、だらり伸ばした片腕を枕に、頬を押し当て薄く笑った。
非難の色濃い視線が刺さる。
「いくら口当たりがいいからって一人で三本も空けるやつがあるか」
「君だって飲んだじゃないか」
「グラス半分を勘定に入れるな」
それしか飲んでいなかったのかい!
驚き発した自らの声が、酔いの抜けない思考を貫く。
重く鈍い痛みに呻き、テーブルにゴンと額を合わせた。
「だってね、玄冬。嬉しかったんだよ」
酒に焼かれた掠れ声。
片付けの手がピタリと止まる。
「……何がだ」
「君が珍しく付き合ってくれたものだからね、つい」
「ついで済むか」
空の酒瓶とグラスを抱え、溜息混じりにそう呟いた。
それらを始末し終えるが早いか、零れた酒を固く絞った布巾で拭う。
慣れた手付きをぼんやり眺め、くすり、密やかな笑みを浮かべた。
「……何を笑ってるんだ。気味の悪い」
「いや。君も大きくなったなぁ、と」
「育てたのはおまえだろう。何を今更」
「そう、だね。うん。そうだ」
一言零す度に胡乱な眼が向けられる。
おまえ、まだ酔っているんだろう?
問い掛ける声は届かずとも、唇の動きがそう語る。
肯定とも否定とも取れる曖昧な笑み。
答えぬままで瞼を下ろした。
「黒鷹? おい、寝るなら部屋へ、」
戻れ、と言い掛けた口を塞いで、にぃ、と意地悪く笑む。
引き寄せた腕が僅かに強張り、丸く瞠られた眼は瞬きを忘れた様子で。
我に返り頬を染める姿。
映すや否や、耳を劈く罵声を受けた。
羽虫の耳鳴りを打ち消すような、情けの欠片もない声を。
脳を揺るがす眩暈のままに、意識は夏日に溶け失せた。
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