ざらざら崩れる春の雪。
触れても溶け消えることはなく、開いた手のひらに降り積もる。
しっとりと、ひんやりと。
視界を埋める花嵐に、ただただ圧倒されるばかり。
─桜咲く頃─
一歩足を踏み出すことさえ躊躇われる、大地を埋めた一面の白。
仄かに薄紅を孕んだそれは、梢を離れた桜の花弁。
絶え間なく降る様は雪にも似て。
ひらり、ひとひら舞い落ちる。
手にした書類のその上に。
自然浮かんだ笑みを他所に、薄片はまた風に乗る。
目で追ったとて数多に紛れ、すぐさま行方は知れなくなった。
代わりに視界に飛び込む色彩。
花が化けたと錯覚するような華奢な体躯。
「……救世主?」
中庭に根差した桜の古木。
その真下に佇んでいるのは頭上の花によく似た青年。
桜の花よりやや濃い髪と、花芯と同じ赤い眸の。
「おまえ、仕事はどうした! 山のように残っていただろう!」
現に今この腕に抱えた書類の内の何割かは、彼の処理すべきものなのだ。
あんなところで悠長に花見をしている余裕はないはず。
「おい! 聞いているのか!」
声高に叫べど何の反応も返さない。
普段ならば食えない笑みを浮かべながら、
ふらふらと近付いてくるというのに。
身動きひとつ、瞬きすら、しない。
こちらの声など届いていないかのように。
胸が騒いだ。鼓動が煩い。
ざわり、舞い上がる花嵐に、その身が一瞬掻き消される。
春に魅入られ手招かれる、連れ攫われる寸前の。
「っ月白!」
大地を覆う花を踏み拉き、駆け寄り腕を強く掴んだ。
驚いたようにこちらを見る、丸く瞠った眼の赤いこと。
「……タイ、チョ?」
ゆるやかに首を傾げる様の、なんと艶かしいことか。
髪に肩に積もった花が、ぞろりと崩れて足元に。
「え、なに? どうしたの?」
不思議そうな顔をして。
少し困ったような色で笑う。
それは常の表情で、眼にして酷く安堵した。
「……仕事だ」
「あ。……あー……」
そういえばサボって来てたんだっけ。
言ってこちらの顔色を窺う。
「……行くぞ」
「えー」
「まだまだ仕事は残っているんだからな!」
先ほど思わず手放した書類がひらりと風に舞う。
集め終えるまでの短い時間で、顔の火照りが治まればいい。
恐らく、隣で同じように書類を掻き集める男には、
気付かれてしまっているのだろうが。
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