城内に漂う甘い匂い。
時折混じる、僅かな焦げ臭さ。
誘われるように足を進めた厨房付近は、何故だか黒山の人だかり。
「……何してんの、おまえら……」
文官、女官、第三兵団の面々。
皆一様に心配顔で、厨房の中を見つめている。
本来そこにいるはずの料理長までもが、その一団に紛れていて。
つられて覗いた厨房には、小柄な人影がふたつ。
お揃いの淡い黄色いエプロンを着けて、
踏み台に乗りながらフライパンと格闘するはなしろと、
隣で色々と指示を出しているらしいくろとの姿が、そこにはあった。
─本日のデザート─
そろり、と皿に手を伸ばす。
あと少しで届く、というところで、ぴしゃりとその手を叩かれた。
「痛っ!」
「ダメだよ! それ、黒鷹の分!」
思わず引っ込めた手が赤い。
甲高い声の方を見れば、腰に手あてたはなしろが「めっ」と叱り付けてきた。
傍らに立つくろとは、器用にフライパンを操りながら、こっそり溜息を吐いていて。
「はなの分は、ちゃんと作ってあげるんだから!
だから大人しく待ってなきゃダメ!」
「わかったよ。ったく……」
未だちりちりと痛む手を擦り、そんなに強く叩かなくたっていいのに、と零した。
その目の前に、コトリと置かれた皿が一枚。
ほくほくと湯気をあげ、甘い匂いを放つパンケーキが、二枚三枚と重ねられて。
「それ、おっきい玄冬のだからね」
はなの分じゃ、ないんだからね。
エプロンに生地をべたべたとつけて、ついでに頬にもくっつけて、
食べちゃダメ、と釘を刺す。
視界の隅で、ポンとパンケーキが宙を舞った。
黒鷹の分、おっきい玄冬の分。
こっちのは白梟の、これは文官の。
そっちのちょっと大きいのは、銀朱のおとーさんにあげるやつ。
銀朱の分、おっきいのの分、それから、それから……。
「もういい」
「えっ? ……はな?」
ガタンと椅子から立ち上がれば、慌てたようにはなしろが台から飛び降りた。
急に支えを失って、フライパンが耳障りな音をたてる。
「もういい。いらない。待ってるの、飽きちゃったし」
お預けと待てを繰り返されて、空腹はとうに限界を超えていた。
それに、この場にいない奴の分まで作っておいて、
ずっと待ってる僕の分は、いつまでたっても出てこないし。
「僕もう行くから。火傷、しないようにしろよ」
背を向ける寸前、はなしろが泣きそうな顔をしたけれど。
そんなの、知らない。
「まって、はな……!」
「じゃあね」
逃げるみたいに、早足で。
自分の部屋に着くまで、一度も振り返らずに。
別に、悪いことなんてしてないのに、
泣き出してしまいそうなあの顔が、頭から離れなかった。
どれくらい、時間が経っただろう。
扉の向こうに人の気配。
いつまで経っても動かないから、痺れを切らして立ち上がった。
とん、コトリ。
小さな小さな音。
走り去っていく足音。
そっと開いた扉の横に、置き去りにされた籠がひとつ。
蓋を開ければ、甘い匂いが押し寄せて。
ちょっぴり焦げて歪な耳と、今にも泣き出しそうなジャムの目をした、
パンケーキのウサギがこっちを見てる。
「……フォーク、入ってないじゃないか……」
お皿の下に挟まれた紙切れには、拙い文字で、
「ごめんね」
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