その報せを耳にしたのは、偶然としか言いようがなかった。
女官達の他愛ないお喋りは、常に城内を飛び交っていたから。
聞きたくなくても鼓膜を震わせ、ほんの微かに琴線をかすめては消えていく。
普段なら右から左に流してしまうのに、その日に限っては違っていた。










─第三兵団進軍─










夜闇に沈む廊下を駆ける。
ひたひたと、裸足の足音が暗い城内に広がっては消えた。
誰も起きてきたりはしないだろう。
わざわざ遠回りをしてまで、人気のない道を選んでいるのだから。

寒くもないのに身体が震えた。
カチカチと、歯の根が合わない。
襟元を強く掴んで、息が苦しいのをどうにか堪えて。
足が止まってしまわぬように、笑う膝に叱咤した。





辿り着いた扉の前に、さすがに見張りの姿などはなく。
ただ静けさだけが出迎えてくれた。
僅かに混じる薬の臭い。
そっと、扉に手を掛ける。

「……っ……」

途端、押し寄せてくる薬品臭。
消毒液の鼻を突く臭いに、顔を顰めた。
音を立てないように扉を閉める。
外から遮断された部屋の中、苦しげな息遣いが嫌に大きく聞こえた。

「……銀朱、」

衝立の向こう側に、据え置かれた寝台。
そこに横たわる幼馴染の、額と言わず首と言わず、肌を隠す白が目に痛い。
所々滲んで黒ずんでしまっているのは、恐らく血で。
一歩、また一歩と近づく度に、強まる血腥さに眩暈がした。





痛みのためか、顰められた眉。
額に浮かぶ玉の汗。
熱を持っているのだろうに、その顔色は優れない。
いつになく蒼白く見えるのは、月明かりのせいだけではないはずだ。

「何やってるんだよ、間抜け……!」

吐息ばかりの声で毒づく。
含まれる棘とは裏腹に、その声はか細く震えていて。
それを押し隠そうとするかのように、寝台についた手が拳を握る。
きつく、爪が食い込むほどに。





「おまえが死んで……殺されて……もしそれで、数えられでもしたら、
 ……笑えないよ」

あれだけ、世界を救え玄冬を殺せと言い続けてきた奴が、
自ら世界の命を縮めるようなことになったりしたら。
本当に、笑えないよ。
滑稽過ぎて、笑うに笑えない。

力の入らない膝を折って、寝台に額を押し付けた。
シーツをきつく握り締める。










「おまえも、僕を置いていくの……?」










零れた呟きは誰の耳にも届くことなく、夜闇に波紋を投げるだけ。
頬を伝う水の正体に、気付きたくなくて知らぬ振りをした。










失うものなど何もないと、そう思っていたのに。
思い込んでいたのに。
こんなにも、怖くて仕方がないんだ。











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