何が優しくしてやってくれ、だ。
最期の最期まで玄冬らしくないことを言いやがって。
ガツガツと軍靴の踵を鳴らしながら、銀朱は内心毒づいた。

「優しく……優しく、だと……ええい!」

握った拳が石柱を叩く。
鈍い音がし、刺し貫くような痛みが走った。
痺れを訴える手を開き、再び強く握り締める。

ただ虚空を掴むばかりのこの手を、これほど無力に感じたことはなかった。










─届かなかったぬくもり─










花白が玄冬を討ち取ってからというもの、
あの子供からは表情らしい表情が消え去った。
人を小馬鹿にしたような、腹立たしい笑みすら浮かべない。
その姿を城内で見掛けることすら、稀で。

何をするでもなく無気力に日々を送るその姿は、さながら生ける屍だ。
不健康に痩せてはいるが、肉体は生きている。
けれど、心は……。





「花白。いるんだろう、花白」

彼の子供の部屋の前、扉を叩きながらその名を呼ばわる。
返るのは、ただ沈黙ばかり。

今一度、扉を叩かんと翳した手を止めた。
どれだけ叩こうと、喚こうと、内側から開かれることはないのだから。
「入るぞ」と一応の断りを入れ、木製の扉に手を掛ける。
ギ、と僅かに軋みながらも、鍵の掛かっていないそれは嫌にすんなりと開いた。

「おい、花白」

名を呼べど、応えは返らない。
人の気配も感じられない。
ただ、目に映るのは開け放たれた窓だけで。





「……花白……?」





ざわざわと胸が騒いだ。
扉を閉めることすら忘れて部屋に踏み入る。
家具の陰にでも身を潜めているのではないか。
そんな淡い期待を抱きながら、室内を何度も見渡して。





甲高い悲鳴は、階下を歩む女官のものだったろうか。

弾かれたように駆け寄った窓辺。
身を乗り出すように覗き込み、目に飛び込んだ色彩は、
遥か遠い地面に咲いた、大輪の緋色。

「……はな、しろ……」

窓枠に掛けた手が、嫌な音をたてて軋んだ。
何故、と問いが脳裏を巡る。





何故、花白から目を離したのか。
何故、あいつを放っておいたのか。
何故……何故……?





「何故だ、花白……!」





何故、掴んでおかなかったのか。
遥か遠く、血の海に沈む華奢な手を。
その腕は伸ばされていたのに。
助けを請うて、泣いていたのに。










……ああ……、










ギリ、と奥歯を噛み締める。
血の気の失せた手は拳を作り、壁を殴って鈍い音をたてた。
皮膚が抉れ緋が滲んだが、不思議と痛みを感じない。










ただ虚空を掴むばかりのこの手を、これほど無力に感じたことはなかった。











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