目が覚めようと覚めなかろうと、あるのは玄冬のいない世界。
ならばずっと覚めなければいいのに。
そう願っても夜は明けて、見たくもない現実を突きつける。
すぐに行くから。
追いかけて行くから。
残された子供が思うのは、ただそれだけで。
今宵もまた、薄闇の中で剣が煌く。
透き通る刀身に、どす黒い血を纏わせて。
喪失の痛みを傍らに、血を流す心を携えて。
─想いのすべては─
手首に、首筋に、きつく巻かれた白。
傷付けて、血を流す度に、口煩い幼馴染が飽きもせずに施した手当て。
荒っぽくはあるが的確な処置に、文句を言う気も起こらなかった。
死にたいのか。
不意に、そう訊かれた。
驚いて顔を上げたけれど、相手は手当てに忙しいらしく、
こちらを見ようともしない。
「別に死にたいわけじゃないよ」
告げるというよりは独り言に近い言葉。
吐き出した当人が驚くほどに、感情の色のない声音。
もっとも、驚きの欠片も表出することはなかったのだけれど。
死にたいわけじゃない。
けれど、生きていたいわけでもない。
それが最も正直な答。
口にしたところで理解してはもらえないだろうし、
期待もしていないから黙ったけれど。
これ以上自分を傷付けるようなことは止めろだの、
もっと自分を大事にしろだの。
飽きるほど耳にしてきた台詞を聞き流す。
「死にたいのなら、もっとちゃんとうまくやってる」
「では何故、」
「おまえには関係ないだろ」
ふい、と顔を背ける。
消毒液が嫌に沁みて、いたい、と小さな言葉が漏れた。
けれど表情は変わらない。
痛みなど感じていないかのような、人形のような顔。
だって、仕方がないじゃないか。
どんなに会いたくたって、追いかけて行こうとしたって、
玄冬は、決して笑ってはくれないのだから。
「喜ぶはず、ないんだから」
意識せず紡いだ呟きが、どうやら耳に届いたらしい。
不意に幼馴染の手が止まり、物言いたげな目が向けられる。
「……終わったぞ」
手の甲を、ぽん、と軽く叩かれる。
おしまいの合図だ。
痛みはない。
左手首に巻かれた包帯の、さらさらとした感触を確かめる。
無理に曲げようとすれば痛むけれど、
下手な使い方さえしなければ大丈夫そうだ。
「もう、するんじゃないぞ。いいな?」
効力を持たない台詞を吐いて、銀朱はくるりと踵を返す。
その背中に、投げつけた言葉。
「もう少しだけ、ここで生きてみるよ」
息を呑む気配、途切れた足音。
別に銀朱に言いたかったわけじゃないけれど。
口にしなければ、届かないだろうから。
「っあたりまえだ、馬鹿者」
些か乱暴に、ばたんと音をたてて閉ざされた扉。
一度伏せた目をゆるり開いて、窓を覆うカーテンに触れた。
ほんの僅かな隙間を作る。
窓から覗いた空は、何とも言い難い色をしていた。
今まで見たことのある空の色を、全部ひっくるめてぶちまけたような。
朝焼けに燃えるそれは、闇に慣れた目に痛い。
きれい、なんだろう。たぶん。
細く空を切り取る指を、そっと引き抜いた。
途端、室内を満たす薄闇。
その中にあっても、手首の包帯は白く浮かんだ。
目が覚めようと覚めなかろうと、あるのは玄冬のいない世界。
ならばいっそ覚めなければいいのに。
そう思っても日は昇り、見たくもない傷を曝け出す。
ああ、今日もまた君のいない朝が来る。
追いかけたって、喜ぶはずもない。
だからもう少しだけ、ここで生きているよ。
……見守って、いてよ……
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