僕は君の手を強く握って、ただひたすらに先を急いでた。
そんなに急ぐと転ぶぞ、とか、ちゃんと前を見て進め、とか、
そんなことを言いながらも、君は付いて来てくれていた。
だから振り返れば君がいるって、どこかで安心していたんだ。
なのに。
─そうして、紡がれる日々─
「玄冬っ……!」
跳ね起きた途端に鈍い頭痛。
くらくらと目眩を覚えて、呆気なく寝台に逆戻り。
これまでに何度、君の名を呼んで目が覚めただろう。
到底数え切れるものではなくて、考えることすら放棄した。
苛立ち紛れに毛布を蹴り飛ばす。
毛布が翻るばさりという音と、何をするんだねちびっこ、
という声が掛かったのは、ほぼ同時。
「まったく。人が起こさないのをいいことに、いつまで寝ているつもりだい」
もう昼を回ってしまったぞ。
呆れた顔を作りながら、腰に手を当てて、めっ、と言う。
その肩に、さっき蹴り飛ばした毛布が引っ掛かって揺れていた。
「……バカトリ……」
「また、あの子の夢を見たのかね」
「……だったら何だよ」
いいや別に何でもないよ。
抑揚のない言い方で、貼り付けたような笑みを浮かべる。
伸びてきた腕がくしゃくしゃと髪を乱すのを、振り払う気力すらなかった。
「あまり眠れていないんだろう?」
「……関係、ないだろ」
言い当てられて赤くなっているであろう顔を枕に埋める。
息苦しいけれど、見られるよりマシだ。
早く出てけよおまえの顔なんて見たくない。
そんな言葉を吐き出して、今度は枕で頭を隠した。
何も見たくない、何も聞きたくない。
意思表明をするつもりで。
「……花白」
珍しく、名前で呼ばれた。
顔は上げない。
ただ耳だけを欹てる。
「夕飯の頃にはちゃんと起きるんだよ」
ふわりと、何かに覆われる感覚。
扉が閉まり、足音が遠ざかるのを確認して、何だよ、と吐き捨てた。
しっかりと首元まで掛けられた毛布を握り締める。
「結局、起こさないんじゃないか」
ばふ、と毛布を蹴り上げて、けれど飛んでいかないように端っこを掴んで。
それからしばらくは、ぶちぶちと文句を言っていたと思うけど。
いつの間にか目を閉じていて、ゆっくりと眠りの淵に沈んでいった。
そして、また夢を見る。
振り返ると君の姿はなくて、手の中も、空っぽだった。
慌てて辺りを見回すと、君はずっと遠くに立ってる。
僕の位置からは、背中しか見えなくて。
追い掛けても追い掛けても、その距離は縮まらない。
何度待ってと叫んだだろう。
聞こえているのかいないのか、君は足を止めない。
君はどこか遠くを見ていて、僕になんて気付かないみたい。
「花白」
不意に響いた声。
はっと顔を上げた先に、君が立っていて。
遠かったけれど、こちらを向いて、
優しい顔で、笑っていた。
「花白。おーい、ちびっこ」
そろそろ起きないと夕飯も食べ損ねてしまうぞ。
何度となく肩を揺さぶられて、重たい瞼を持ち上げた。
西日が差し込んでいるのか、部屋の中はきれいな茜色に染まっていて。
その光を受けながら、僕の肩を揺らすのは、
「……くろたか……」
こちらを見る黒鷹の目は、何故か大きく見開かれていた。
何だよ、と問いを投げると、いつも通りの人を食った笑みで首を振る。
早く仕度をしないと置いて行ってしまうよ。
そんなことを言いながら、寝台の端に腰を下ろした。
どことなく、表情に締まりがない。
「……黒鷹?」
「うん? あ、えー、そうそう。さっき良さそうな店を見つけてね。
混雑する前に行こうじゃないか、ちびっこ」
「あ……うん……」
明らかに何か隠している風だったけれど、何だかどうでもよくなって。
早く早くと急かされて、髪もぐしゃぐしゃなまま、僕は寝台を抜け出した。
君が笑ってくれた理由は、きっとずっと解らないけど。
でも、また会えるって、そう思えるから。
何だが少しだけ、嬉しかったんだ。
ああ、やっと私の名を呼んでくれたね。
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