それは本当に微かな声。
ともすれば風に掻き消されてしまうほどの小さなもの。
けれど廊下を歩む足を止めさせるには充分過ぎるほどに、痛々しい、悲鳴。










─鳥の啼く朝─










「……花白……?」

彼の子供の部屋の前、耳を欹て伺えば、扉の向こうでひゅっと息を呑む気配。
ほんの僅か逡巡し、意を決して部屋へ踏み込んだ。
足音を抑え気配を殺し、歩み寄った寝台には青白い顔をした子供が一人。

玄冬を葬る責を負いながら、嫌だと駄々を捏ねた子供。
一度は共に逃げた相手を、自らの手に掛けた救世主。
そして恐らく、花白が最も心を許していたのは、他ならぬ玄冬その人で。





「また魘されているのか……」

寝台の脇に身を預け、額に貼りついた髪を払ってやる。
花白がこうして魘されるのは一度や二度のことではない。
玄冬を殺めたあの日以来、まともに眠る姿を見た記憶もない。

「このままでは死ぬぞ、馬鹿が」

溜息と共に零した言葉。
それがあまりにも現実味を帯びていて、口にしたことを後悔した。
縁起でもない。
吐き出した言葉を振り切るように、二度三度と緩く頭を振った。
その時だった。










いやだ、と。










苦しげに眉根を寄せた花白の口から、嫌だ、と掠れた声が漏らされる。
何を拒絶しようというのか、何度となく首を左右に振って。
ふらふらと天井に伸ばされた腕は、何かを追い求めるように彷徨った。

不意にその手の動きが止まる。
諦めたかのように緩く拳を作り、力を失って落ちていく。
それはまるで、散り急ぐ花のようで。





「……っ、」

咄嗟にその手を受け止めたのは意識しての行為ではなくて。
自らの手に掛かった僅かな、けれど確かな重みをもって、初めてそれと気付いたほど。
はっと我に返るが早いか、強く強くその手を握った。
華奢な手指が折れるのではないかと、案ずる余裕も今はない。

弱々しく、握り返される感覚。
起こしてしまったかと今更気付いて、それが杞憂であることを知る。
薄い胸を上下させ、花白は未だ眠りの淵に。
ただ表情だけが違っていた。





「……花白……」





すう、と小さな寝息が聞こえる。
薄く開いた唇が僅かに動きはするものの、伴うはずの声はなく。
ただ幸せそうに、穏やかな笑みを浮かべながら、





「泣いて、いるのか……おまえ……」





目尻に光るひとしずく。
頬を伝い、シーツに染みて、けれどその顔は微笑っている。
それが余計に痛々しい。

繋いだ手のか細さと、涙を抱いた微笑と。
世界に救いは齎された。
けれど、救世主への救いは、どこへ……?





「……良い夢を、見るんだぞ……」

夢の中では好きなように生きればいい。
そう思うのは、願うのは、当人にしてみれば迷惑でしかないのだろうけれど。
だとしても、それが救いになるのなら。
せめて良い夢をと、そう口にせずにはいられなかった。










朝日の気配、鳥の囀り。
ゆるゆると瞼を持ち上げて、ふと片腕に違和感を覚えた。
何だが自由が利かないような。
内心小首を傾げながら、視線を転じた花白の目に、

「……何、してんだよ……こいつ……」

寝台の脇に身を置いて、シーツに顔を埋める銀朱の姿。
その手の中には花白の手が、しっかりちゃっかり握られていて。
取り戻そうと腕を引くも、どうしたことか離れない。





痛みを感じるほど強く、掴まれているわけでもないのに。





憮然として、人の気も知らず寝こけている銀朱の髪を軽く引っ張った。
むう、だの、うう、だの、間の抜けた声が漏れ聞こえる。
その服装が、昨日身に着けていたものとそっくり同じように見えて、ほんの僅か目を見張った。

「……いつから……?」

ぐるり、巡った思考。
弾き出された答え。
夜通し、ずっと……?
そんなまさか有り得ない。

「……よく、覚えてないんだけど、」

なんだか夢見が良かったみたいだから、一発殴る程度で許してやろう。
ほんの少し物騒なことを考えて、銀朱の頭をコツンと小突いた。
早く起きろよ馬鹿銀朱。










手、握られたままじゃ、殴れないじゃないか。











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