救われるものだと信じていた。
震える肩が、泣き濡れる眸が、役目さえ果たせば開放されると。
忘れた笑顔を取り戻すことが叶うと、そう信じて疑わなかったのだ。










─音の無い声─










扉を叩く、返答はない。
いつものことだと割り切って、断りひとつ、室内に踏み入る。
薄闇の中、澱んだ空気がゆるりと大きく動いた。
分厚いカーテンで外光を遮断し、灯りすらも点けずに。
手にした盆を卓上に乗せ、寝台に沈む子供を呼んだ。

「花白、食事だ」

言葉も頷きも返らない。
身じろぐ気配すら伝わって来ない。
仕方なしと歩み寄り、手荒く毛布を剥ぎ取った。





「花白」





胎児のように身体を丸め、手足を縮める華奢な少年。
痩せた顔に目だけが大きく、異様な輝きを放って見えた。

「なにするんだよ」

吐き出されたのは弱り掠れた声。
睨む視線に力はなく、纏う生気は脆弱だった。
今にも死んでしまいそうな、危うい色が見え隠れする。

「食事だと言ってるだろう。さっさと食え」
「いらない」
「……花白、」
「ほしくなんか、ない」

ふいと顔を背けてしまう。
呼吸で僅かに上下する、その胸の薄いこと。
袖から覗く腕は細く、骨と皮ばかりに思えてならない。

「おまえ、近頃は碌に食ってないだろう。少しでもいいから腹に、」
「要らないって言ってるだろ!」

目を瞑り、耳を塞いで、痩せた身体を更に縮める。
荒げた声で呼吸が乱れる。
苦しげに胸を上下させ、ひゅっ、と鋭く気管が鳴いた。





玄冬を殺せばすべてが終わると信じていた。
あれはその為の練習なのだと、そう伝え聞いていたから。

罪人を危める度に泣きじゃくる子供。
その小さな手を、ただ握ってやるしか出来なくて。
頬を濡らす涙を、拭ってやるのが精一杯で。

玄冬さえ死ねば笑顔が戻るのだと、そう信じて疑わなかった。
現実を目の当たりにするまでは。





「花白」
「たべない。いらない。ほしくない。
 お腹なんて、空いてないんだ」

だから食べなくても平気なんだと、そう吐き捨てはするけれど。
日に日に痩せ衰えていく、その様を見て納得する者がどこに居ようか。





「……ここに置いたぞ。ちゃんと食えよ」

本来ならば口を抉じ開け、無理矢理にでも食わせるべきなのだろう。
そんなことをしたところで、すべて吐き出されるのがオチだ。
事実、似たようなことは多々あったのだから。

「花白」

名を呼ぶ。反応はない。
慣れたことだと思う度に強く感じる遣る瀬無さ。
向けられた小さな背に目を向けて、迫り上げる言葉を飲み込んだ。





死ぬなよ、などと。





吐き出したなら、それは祈りにも似た縋る声音で。
情けないと自分でも思いながら。





救われるものだと信じていた。
けれど追い詰められるばかりで、苦しみが減ることはなかった。
かえって嵩を増すようで、痛々しいと思わされる。

世界を救った救世主。
だのに何故、この子供は救われないのか。

かつて涙に濡れた眸が、脳裏に焼きつき離れない。
声に出しはしなかったけれど、その手を伸ばしはしなかったけれど。
震えていたのは、泣いていたのは、救いを求めていたのは、他ならぬ花白自身。





死んでくれるな、おまえは生きろ。





願い、祈り、届けとばかり。
零す溜息は深く重く、悪戯に静寂を際立たせる。
背を向けたままの子供の気管が、ひゅう、と細く高く鳴いた。











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