さあ、次はどんなお話が良いかね?
子供を膝に座らせて、問いを投げれば言葉が返る。
美しい話が聞きたいかい? それとも幸せな物語が?
君が望むのならいくらでも。
その程度のことしか、出来ないのだから。
─翼─
寝入った子供の小さな手から、分厚い本をそっと取り上げた。
栞を頁に挟み込み、ぱた、と閉じる。
歳の割に難しい本を読むものだ。
表紙に記された題名を目に、苦笑しながらそう思う。
「もっとも、持ってくるのは私なんだが」
この部屋にあるものは、どれもこれも自分が持ち込んだガラクタばかり。
埃を被らずにいるのは奇跡に近かった。
書物に至っては手に入れただけで満足して一度も頁を繰らずにいるものまである。
今の今まで子供が読んでいた本も、然り。
「……じきに冬、か……」
小さな小さな、明り取りにもならぬような窓を見遣った。
年々早まる冬の訪れ。徐々に遠退く春の気配。
終わりの冬の名を持つ子供は、だのに冬を見たことがない。
春も夏も秋も、この部屋で目に出来るもの以外の何物もを、知らずにいる。
「……ん……」
子供が僅かに眉根を寄せて、ころりと小さく寝返りを打った。
転げ落ちそうになった華奢な身体を慌てて抱き抱える。
穏やかな寝顔。規則正しい寝息。
衣服越しにじわり伝わる、子供特有の高い体温。
黒い髪をそっと撫ぜる。
梳いて摘んで悪戯に乱して、柔らかな感触を愉しむように。
「まったく」
溜息混じりに零した言葉。
空いた手で額にかかる髪をかき上げる。
「いつまで続けるつもりだろうね」
生まれる限り必ず殺せと、かつてあの子はそう望んだ。
知らぬ存ぜぬを通せばいい。そんな約束、反故にしてしまえ。
幾度となく頭を擡げたそれらの言葉。
だのに続けた。続けてしまった。
「この子は、君ではないのにね」
何も知らずに生きている、生かされ続ける幼い玄冬。
終わりの冬を齎す子供。可愛い可愛い、大切な子供。
「羽休めがしたいだなんて、言ったら君は叱るんだろうな」
もう疲れたと、止めにしようと、口にしたら怒るだろう?
膝の子供を抱き寄せて、今は亡き子供に向けて問う。
約束を破るかもしれないと、脅しておきながらこの様だ。
かの子供の信頼を、裏切るのがそんなにも怖いのか。
「さて、どちらが怖いかな」
あの子を何度も喪うことと、あの子の信頼を裏切ることと。
どちらが怖い? どちらが恐ろしい?
脳裏で繰り広げられる堂々巡り。
いくら考えてみたところで、答えが出ずにまた続くだけ。
「玄冬」
ぽつり、名を呼ぶ。
腕の中で子供が小さく身じろいだ。
起こさぬように立ち上がり、そっと寝台に運んでやる。
どんな夢を見るだろう。楽しい夢を見るといい。
夢の中までは守れないから、せめて幸せな夢であるように。
「君は、これで満足かい……?」
部屋を出れば身を切る寒さ。夜空は澄んで、満天の星。
すぐ後ろには冬の気配。耳に届かぬ足音が近い。
この子の手を引き城を出て、何もかもをかなぐり捨てたら、
君はどんな顔をするだろうね……?
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