この腕を伸ばせば届くだろうか。
今度こそ、掴めるだろうか。彼の人が掲げた理想をこの手に。
願ったところで叶わない。祈ったところで、誰が聞こう。
遥か彼方の桃源郷。この手で掴み取ることは、出来るだろうか。










─彷徨える魂─










楽しげに笑う子供らの声。
聞くともなしに鼓膜を震わす、鈴の音に似た軽やかなそれ。
笑みに眼を細めても、口角を上へ持ち上げたとて、
顔に刻むは歪な皺だけ。

笑うことなど、出来はしない。

「白梟!」

じゃれ遊ぶ子供のひとりが呼ぶ。
咄嗟に取り繕った笑み。
子供に気付いた素振りはない。
白梟と名を呼んで、くいと軽く袖を引いた。

「あのね、あのね、花冠の作り方、教えてもらったの!」
「そうですか。それは良かったですね」

子供の髪を撫ぜようと伸ばした腕を掴まれる。
何事だろうと首を傾げ、子供の笑みにつられて笑った。





「だからね、これ、白梟にあげる!」





差し出されたのは歪な輪。
野に咲く花々を編み込んだ花冠。
得意げな顔をして、子供がこちらを見上げてくる。

「ね、しゃがんで、白梟」
「え?」
「立ったままじゃ届かないもん」

その場で何度も飛び跳ねて、早く早くと急かすよう。
膝を曲げ、腰を折り、身を低くすれば対する子供は背伸びをした。
頭部に感じる僅かな重み。緑の匂いが近くなる。

「ありがとうございます」

今にも落ちてしまいそうな、崩れてしまいそうな頭上の冠。
背筋ひとつ伸ばすにも気を遣う。それは普段の比ではなくて。

それじゃあ、あとでね。

満面の笑みでそう言い残し、走り去る背中を見送った。
また楽しげな笑い声が聞こえる。鈴を転がす、軽やかな声が。
何も知らずに、知らされずに。あの子らはいつまで続けられるだろう。





「似合うじゃないか」
「……黒鷹」
「おっと、怒らないでくれよ。本当にそう思っているのだから」

ほら降参だと両手を挙げて、相手は苦笑してみせる。
構いませんよと溜息ひとつ。そっと、頭上の花に触れた。
はらりと零れる花ひとひらに、ほんの僅かな罪悪感。

「暗い顔だね」
「そう、ですか……?」
「せっかくの美人が台無しだよ」
「茶化すのはお止めなさい」

言葉に力が篭らない。代わりに零れる何度目かの溜息。
幸せが逃げてしまうよと、軽口なのか忠告なのか判別しがたい声が飛んだ。





「まったく、あの子らは本当に元気だなぁ。
 いつまでああして遊んでいるつもりだろうね」
「我々が止めに入るか、暗くなれば戻るでしょう」
「それもそうだ」

くすくすと笑う。肩が揺れる。
けれど顔に刻まれた笑みには、どこか乾いた色が滲んだ。
我知らず俯く。その拍子、転げ落ちる花冠。

「……あ、」
「おっと危ない。駄目じゃないか白梟、気を付けていないと」

これは大事なものなのだろう?
だったら大切に、大切にしておきなさい。
そっと手渡される花々。
壊さぬようにと受け取って、やんわりと抱き締めた。





失ってからでは、遅いのだよ。





決して口には出さないけれど、その目が語る無音の言葉。
互いに永きを生きてきた。生かされ続けてきたのだ。
己が心情すら偽ろうとする相手であっても、その片鱗は悟れよう。

「ええ、そうですね」

何に対する頷きか、相手は知らぬに違いない。
知らぬままで構わない。知られる方が、恐ろしい。
失いたくない、と。この微睡みがいつまでも続けばいいと。
一瞬でも思ってしまったことを、知られるわけにはいかなかった。





この腕を伸ばせば、届くだろうか。
今度こそ、掴み取れるだろうか。
彼の方が望んだ理想郷。今ここには亡い、創造の主が。





届いたところで何になる。
掴み取ったところで、きっと握り潰してしまうのに。
それはまるで花冠。触れただけでも、崩れ落ちる。





……ああ、主よ……










私は、どうすればよいのですか。











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