嫌いだと、口にするのは簡単だった。
嘘偽りでも、好きだとは言えなかったから。
本当は大好きだったのに、誰よりも認めて欲しかったのに。
好きだなんて、言えなかったんだ。










─回想─










「よく出来ましたね」

柔らかな笑みと優しい言葉。
伸ばされた手が頬を撫ぜ、髪を梳いて離れていった。
顔を上げることは出来ない。
あの人の目を、正面から見ることが出来ない。

「私は貴方を誇りに思いますよ」

そんな言葉を望んだわけじゃない。
本当に欲しかったのは、決まりきった台詞じゃなくて。
けれど何を求めているのか、自分でもよく解らなかった。

「さあ、もう部屋にお戻りなさいな」

労わるような声音で、穏やかな口調で。
突き放すように聞こえたのは、きっと耳がおかしかったせい。
塞いだところで阻めない。鼓膜に刻まれ幾度も巡って。

「……花白……?」

動かずにいれば訝しんで。
ほんの僅かに首を傾げて、どうしました、と声を投げる。
まるで心から案じてくれているかのように。





いいえ、何でもありません。





口からするりと出まかせひとつ。幾度となく紡いだ、嘘。
ゆるゆると首を横に振る度、濡れた髪が頬を打つ。
嗅ぎ取ったのは噎せ返るほどの血腥さ。
その大半が自身から発せられるものであると知り、吐き気を催し俯いた。

「おやすみなさい、しろふくろう」

吐き出した言葉は力なく、どこか虚ろに響いただろう。
けれど気付いた様子はなかった。
気付かぬ振りを、していたのかもしれない。

「おやすみなさい、花白」

それでも全てを包み込むような笑みを向けられて。
慈しむような手で触れられて、撫ぜられて。
拒絶なんて出来るはずもなかった。
僕には、あの人しかいなかったのだから。

浮き上がるのは嫌な記憶ばかり。
もっと違う思い出もあったはずなのに。
なのに、どうして。










……出来るでは、ないですか……










「花白」

頬を撫ぜられる感触に、ゆるり瞼を持ち上げる。
視界いっぱいに玄冬の顔。距離の近さに驚いて目を剥いた。

「怖い夢でも見たのか?」

心配顔でそう尋ねて、指の腹で頬にまた触れる。
その手を押し退けようとして、ようやく頬が濡れていることに気付いた。
止め処なく溢れ流れてくる、涙のせいで。

「……あ……」

腕を目元に押し当てて、袖にすべて吸わせようとして。
けれどグイとその手を引かれ、止せ、と小さく叱られた。

「泣きたければ泣けばいいだろう。堪えるのは止せ」

誰が見聞きするわけでもなし。
そう言って、玄冬の手がまた頬に。

他の誰でもない、君がいるじゃないかと訴えれば、
ならば外で夜を明かすと、無茶苦茶なことを口にして。
泣き止むか、泣き喚くかの二択しか残されていないと思い知る。





「……喚くよ?」
「好きにしろ」
「もの、投げるかも」
「それは止めてくれ、頼むから」

抱き寄せられて狭まる視界。
回された手が宥めるように、背中を二度三度と軽く叩いた。
その腕に縋って、胸に顔を押し付けて。
強く強く袖を掴み、それでも足りなくて爪を立てた。





ごめんなさい、ごめんなさい。
何度言っても足りやしないのだけど。
どれだけ謝ったところで、貴方は帰らないのだけれど。





嫌いだなんて言って、大嫌いだなんて思って、ごめんなさい。
本当は大好きだったのに。
ごめんなさい、ごめんなさい。





貴方のこと、本当に好きだったんだ。
ずっと好きでいたかった。
だけど、





「玄冬のことも、好き、だから」





だから、だから。
ごめんなさい、しろふくろう。










どこまでも優しい玄冬の手と、貴方の冷たい手のひらは、
ほんの少しだけ似てるんだ。
これを聞いたら、貴方はどんな顔をするだろうね。












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