杯を交わしてから数刻と経っていない。
だのに彼は、腰に佩いた鋼を抜いて、その切っ先を俺に向けた。
浅く掠めただけの傷。
異様に疼く腕を押さえ、ただ呆然と彼を見上げた。
─憐連謳─
勝利の宴に酔い痴れる。
手に手に酒を満たした杯を、一様に笑みを浮かべながら。
その人々を避けるように、ふらりとその場を離れる長身が見えた。
「どこ行くんだよ」
「っ……、なんだ、あんたか」
振り返り、ほっとしたような表情を浮かべる。
部族衆の若き長。
歳はたぶん俺とそんなに変わらない。
背丈では、だいぶ負けているけど。
「苦手なんだよな、あーゆーの」
「あんたも、か?」
「そう。意外だった?」
「……それなりに」
視線を逸らせ、口の端が僅かに上がる。
笑っているのだと気付いたのは、肩が小さく揺れていたから。
「……終わったな」
「ああ」
携えてきた杯を手渡し、傾げるだけの乾杯をする。
喉を潤す酒は紅く、幾度となく零れた血のように見えた。
これまでに流された血の上に、俺たちは生き延びて。
やっと、手にした平和。
「これからどうしたい?」
「うん? 俺? ……そうだな、」
国を創って、街を築いて、やらなければならないことは山積みだ。
飲み干した杯を傍らに、顔に掛かる髪をかき上げる。
「とりあえず、寝る」
「……は?」
「これでもかってくらい寝て、手の届くとこから片付ける」
あれもこれもと欲張ったところで、手に負えないのは目に見えているし。
そう言えば、また肩を震わせて「そうか」と小さく言うのが聞こえた。
「じゃあ、あんたは?」
「俺か?」
「これから、どうしたい?」
戦が終わった、この世界で。
何を、したい? どうやって、生きたい?
「俺は……」
開きかけた唇、紡がれる寸前の言葉。
そのどちらもが、不意に響いた呼び声に遮られる。
目をやれば仲間の一人が、大きく手を振り俺を呼んだ。
「行ってやれ」
「ああ、悪いな」
踵を返し、一歩踏み出して、ふと足を止めた。
「名前」
「うん?」
「あんたの名前、まだ聞いてないから」
振り返る。
数歩離れて佇む人の、無骨な手には空の杯がひとつ。
「俺の名は彩白。あんたは?」
耳に届いた音は、春告げの。
別れたときは笑みを湛えていたのに。
だのに、何故。
彼は何故、刃を向ける……?
仲間に、俺に、そして、
……世界、に……。
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