いつ、だったろう。
あの人がかなしそうな顔をするようになったのは。
どうしたの? とは訊けなかった。
いつもと同じに見えるように、笑おうとしてくれていたから。










─明日を迎えるあなたの為に─










扉を開けて出迎える。
いらっしゃいって、笑いながら。
腕を捕まえて、袖を引いて、早く中へと手を握る。

「元気にしてた?」
「うん。あなたは?」
「元気じゃないように見える?」

いたずらっぽく笑いながら、しゃがみこんで視線を合わせてくれる。
紅い目と、あたたかな色の髪。
二回三回、首を振る。

「今日は何して遊ぼうか?」

優しい声、髪を梳く指。
嬉しいのに、楽しみにしていたはずなのに。
なのに、どうして?





どうして、かなしそうに見えるんだろう……?





いつの間にか窓の外は真っ暗で、帰らなきゃ、と、あの人は言った。
くるしそうな、かなしそうな顔で。

「……玄冬?」

名前を呼ばれて、はっとした。
手の中には白い布地。
辿っていくと、驚いたような丸い目がある。
いつの間にか、あの人の服の裾を握っていた。

「あ……」

どうして、そんなことをしたのか解らない。
わからない、けど。

「……かえらないで」

そばに、いたかった。
いてほしいって、思った。
寂しいのかもしれない、悲しいのかもしれない。
なぜ悲しいのか、なにが悲しいのか、わからないけど。

「かえらないで」

それしか、言えなかったんだ。
迷うみたいに揺れる紅い目。動けない僕を映す赤色。
俯いた頭に、ぽんと軽い衝撃。
顔を上げたら、困ったような笑い顔。

「しょうがないなぁ」

くしゃくしゃと髪を掻き回して、軽々抱き上げてくれた。
落ちないようにしがみつく。
背中に回った大きな手のひらが、支えてくれてるみたいだった。





一緒の毛布に潜り込んで、手を繋いだままお話をして。
とろとろとした睡魔の波に、揺られ揺られて目を閉じる。

「おやすみ、玄冬」

眠そうな声で、あの人は言った。

「また明日ね」

重い瞼を持ち上げて、そう返した。
繋いだままの手のひらが、ぴくっと震える。
目の前が真っ暗になる寸前に、かなしそうな、くるしそうな顔が見えた気がした。





どうしたの? とは訊けなかった。
いつもみたいな優しい声が、また明日って、言ったから。
その音がほんの少しだけ震えていたことに気付きもせずに。

明日になったら、わらってくれるかな。
目が覚めたら、おはようって言おう。
いっぱい遊んで、お話しをして。
あの人が、わらってくれるように。










明日を迎えるあなたの為に











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