掛けられた言葉が優しかった。
差し伸べられた手が、嬉しかった。
だから後悔なんてしない。
君と出遭えたことを悔やむなんて、そんなこと、したくない。
─邂逅─
目の前に置かれたマグからは、ほこほこと湯気が上がってる。
見るからに温かそうだったから両手で包み込むようにして、ほう、と息をひとつ吐いた。
冷えたてのひらに感じる熱。ゆっくりと体温を取り戻す手指。
肝心の中身には口をつけず悪戯に水面を揺らしていたら、飲まないのかと問う声が。
「あ……ううん、飲むよ。飲むけど」
「けど、何だ?」
コト、と自分のマグをテーブルに置いて玄冬が僅かに首を傾げた。
「あったかい、から。もう少しだけ」
「……湯たんぽじゃないんだぞ」
呆れたようにそう言って、不意にその手が伸ばされる。
摘んだり、梳いたり、撫ぜたりと、湿った髪に触れられた。
さっきまで水仕事をしていたはずなのに、ちっとも冷たくなんかない。
まだ濡れてるな、と顔を顰めて、寒くはないかと心配してくれる。
「大丈夫、寒くないよ。服、貸してくれてありがと」
「いや、気にするな。……それにしても、」
はあ、と大仰な溜息ひとつ。
前髪をかき上げるように額に手をやり、物言いたげな視線を投げてくる。
なに? と問えば溜息混じりに、
「なんだってこんな雨の中を傘も持たずに来るんだ、おまえは」
「だって、出た頃にはまだ降ってなかったんだもの」
ちょっと曇ってはいたけれど。
もしかしたら降るかもしれないな、なんて思いはしたけれど。
荷物が増えるのは嫌だったし、早く会いたかったから。
少し濡れるくらいで済むなら構わないって、あの時は考えてた。
まさか土砂降りになるなんて、これっぽっちも思わなくて。
「ほら、腕貸せ」
「え?」
「袖、邪魔だろう? 折ってやるから」
それくらい自分で出来るよって、大丈夫だよって言うことも出来た。
だけど言わない。
促されるまま腕を差し出して、長過ぎる袖を折ってもらう。
なんとなく気恥ずかしい。けれど同時に嬉しくて。
「……ありがと」
「いや、いい。……茶を淹れてくる」
「え。でもまだ、」
まだいっぱい残ってるのに。
マグの中身を示したけれど、玄冬はカタンと席を立つ。
「もうだいぶ冷めただろう。熱いのを淹れ直すから、それ飲んで大人しくしてろ」
「……うん」
こくりと小さく頷いて、温くなったお茶を一口含む。
口いっぱいに香りが広がって、ほっと心が落ち着くようで。
お茶を淹れにいくのは照れ隠しだと、こっそり耳打ちした黒鷹の不在を思い出す。
今のが照れ隠しかどうかなんて、僕にはまだ解らないけれど。
「……後悔なんて、しないよ……」
ぽつりと零した独り言。
聞き咎められることはない。
ぎゅっと強く目を閉じる。
大丈夫だと、自分に言い聞かせるように。
ここへ来る度、玄冬に会う度、殺せないと思い知らされる。
殺したくないと訴える心に、否応なしに気付かされた。
初めて出来た友達だから。誰よりも僕に優しいから。
だから、絶対に。
「君と逢えたこと、後悔なんてしないからね」
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