「白梟」
背後からの呼び掛けに、首を巡らせ視線を向ける。
腕の子供を庇うように、強く掻き抱き相手を見た。
黒装束は闇に紛れ、白い顔だけが浮かんで見える。
金の眼差しは痛ましげに、動けずにいる救世主へと向けられていた。
「白梟、その子供は」
「救世主に何か話でも?」
きつく相手を睨み据え、固い声音で問いを投げる。
言外に滲ませた言の葉の色は、痛みすら覚える拒絶のそれで。
対する言葉は困惑の色。
宥めようとするかのような、どこか悲しげな色を宿して。
「そうじゃない。その子はもう、」
「ならば早々に立ち去りなさい。あなたの役目は終わったのです。
私は、この子を休ませねばなりません。邪魔をしないで頂けますか」
す、と金の双眸が細められた。
真正面から視線がぶつかる。
逸らすものかと思った矢先、相手の瞼が緩やかに落ちた。
「……白梟」
「まだ何か?」
「あなたは……それで幸せかい……?」
ぱたりと落ちた白い手と、流れ滴る膨大な緋と。
抱いた子供は動かない。呼吸に胸が上下することも、瞼が震えることもない。
徐々に熱を失う体を、強く抱き締め相手を睨んだ。
「戯れ言を」
吐き捨てる。
侮蔑と哀れみの色を込めて、立ち尽くす片翼に目を遣った。
「そんなものが必要なのですか?」
この庭を続けるために、私の感情が要るのですか?
私の意思ひとつで箱庭の存続を左右しても良いとでも?
問えば言葉を詰まらせて、苦しげな顔で視線を逸らす。
気付くことなど出来なかった。
手袋の下で握られた指が、白く変じていたことに。
折れんばかりの力が込められ、小さく震えていたことに。
割れた爪から流れた緋色が、白い手袋を染めたことに。
気付くことなど、叶わなかった。
「さあ、儀式は終わったのですよ。早くここから立ち去りなさい。
この子を、寝かしつけなくては……」
「……あなたは、」
言い掛け、ぐっと言葉を飲む。
相手は緩やかに首を振り、忘れてくれと小声で告げた。
「またしばらくは会うこともないでしょう。時が来るまでは息災に」
「……ああ。貴方も」
鳥に変じた姿が消え、冷たい静寂が舞い戻る。
腕に抱いた子供の顔を、そっとそっと覗き込んだ。
頬に散った緋色は黒ずみ、肌の色はますます白く。
指先に得る熱は失せ、仄かな死臭が鼻孔を満たした。
私はただの鳥でしかないのだ。しがない翼の片割れに過ぎない。
救世主を護り、箱庭を永続へと導くことだけを果たしてゆけば、それでいい。
もう二度と、過ちを犯さぬように。
弔いの花に埋め尽くされて子供はその目を伏せたまま。
祈るように組まれた指に、白い頬に、熱はない。
生気に勝る死の気配。花の香に覆い隠された死臭。
魂は既にその身を離れ、果てなき輪廻の渦の中。
再び生を受ける日まで、白くたゆたい続けるのだろう。
「次のあなたも春を齎すのでしょうね」
どこからともなく迷い込んだ一片の花弁がひらりと落ちる。
目覚めることのない子供の頬に、寄り添うようにそっと、そっと。
白に近い色だと言うのに、子供の肌は更に白く見えた。
「早く生まれておいでなさい。私の、救世主」
朗々と響く弔い鐘と、啜り泣きとが谺する。
送り出される子供の棺を、この目が映すことはなかった。
救世主はもうここにはいない。
あれはただの亡骸に過ぎないのだ。
あの子はすぐに帰ってくる。
この私の、腕の中へ。
転じた視界、硝子窓の向こう。
膨らみつつある春告げの花を、小鳥が啄ばみ攫っていった。
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病み梟本ネタ再利用
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