どうしようどうしようどうしたらいい?
頭の中ではぐるぐると、どうしようばかりが渦を巻く。
繋がれた、もとい掴まれた手は、痛くはないけど緩みもしない。

怖い、なんて。そんなこと、彼に対して思うことはなかった。
ただの一度も、なかったのに。
なのに、今は怖くて怖くて仕方がない。
俯きがちな顔は上げられず、ちらちらと様子を窺うだけ。
時折彼と目が合いそうになって、慌てて視線を地面へ落とした。





「……花白、」

呼ばれ、びくりと体が跳ねる。
氷砕は小さく溜息を吐くと、不意に足を止め振り返った。
急なことに対応出来ず、彼の胸元にぶつかって。
慌てふためき距離を取ったら、氷砕は淡く微笑んでいた。
困ったように眉を下げた、いつもの優しい顔をして。

「驚かせてしまったな」

冷たさなんて欠片もない、甘く響いて聞こえる声。
彼はその場に膝をつき、俯く僕の顔を覗き込む。
さっきとは違う優しい顔に、少しの後悔を滲ませて。

「すまなかった」
「……、うん」

こくりとひとつ頷きながら、ほっと胸を撫で下ろす。
髪をくしゃりと乱す手を取り、ねえ、と小さな声で呼んだ。
どうした? と淡く笑む顔を見て、いつもの彼だと安心して。

「なんで、喧嘩してたの?」

おずおずと投げた質問に対し、彼はバツの悪そうな顔をした。
右へ左へ泳ぐ視線を追い掛けて、答えを求めてじっとり睨む。
ねえ、と捕まえた手を引っ張れば、彼は渋々口を開いた。





「……食事のことで、少し揉めてな」
「しょく、じ……?」
「ああ」

いつものことだと溜息混じりに。分かるだろう? と苦く笑って。
僕は引き攣る笑みを浮かべて、そうだね、と小さく頷いた。
彼の言わんとしていることが痛いくらいに分かるから。

「また野菜?」
「いや。もっと悪い」

深く重い溜息を吐き、氷砕の視線はどこか遠くへ。
野菜じゃないんだと繰り返す声は覇気をなくして虚ろに響く。

「……野草だ」
「え? 野草?」
「ああそうだ野草だ。こう、そこらに生えている名前も分からんような草だ」

流石に我慢がならなくて、少々言い合いになったのだ、と。
玄冬が肉を使わないのならば熊なり鹿なり猪なりを自分で狩ると言ったのだ、と。
ほんの少しだけくぐもった声で、気まずそうに氷砕は言う。

それがなんだか微笑ましくて、小さく笑ったら睨まれたけど。
ちっとも怖くなんてなかったから、離れていた手を繋ぎ直して、行こう? と彼を見上げて言った。





山へ入るのだと思っていたのに、向かっていくのは下る道。
どうするのかと思ったら、少し離れた納屋の中へ弓矢をポイと置いてしまった。
使わないの? と訊ねると、氷砕はああと頷いて、

「これは脅しだ」

そう言って、納屋の戸を閉め僕の手を取る。
え? え? と疑問符ばかりを頭の上に飛ばしていたら、氷砕がすいと顔を寄せ、声を潜めて囁いた。

まさか本当に熊狩りに行ったりはしないさ。
ご近所熊さんとやらを狩るわけにはいかないだろう、と。
悪戯を成功させた子供みたいな、幼い顔で笑うから。
見たことのない表情を前に、心臓がどきんと大きく跳ねた。





街で買った肉を土産に帰って来たのは夕焼けの頃。
二人は終始無言だったけど、どうやら仲直り出来たみたいで。
その日の晩の食卓には珍しく肉料理が並んでいた。

野菜もしっかり入っていたけど得体の知れない草はなし。
もちろん、ちゃんと美味しかったよ? 黒鷹が泣いて喜ぶくらいに!






リクエスト内容(意訳)
「農耕民族と狩猟民族という相容れない食文化を持つ玄冬と初代玄冬が喧嘩して巻き込まれる花白」

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