彩の城の地下深く、僕は部屋を与えられた。
扉には錆びた錠がひとつ、それを開ける鍵はない。
光の乏しい暗闇の中、馬鹿みたいに高い天井を仰ぐ。
井戸の底に落ちたみたいだと小さな窓を見上げて思った。
─暗色天幕─
手の甲を口に押し当てて噛み、迸りそうな声を必死に殺した。
不意にその手をやんわり取られ、思わず相手の顔を見る。
にやりと歪んだ唇からは噛んじゃ駄目だろと囁く声。
赤の滲む肌を舌が這い、ぞろりと傷を舐められた。
ぴり、と走った僅かな痛みに呼吸が身体が小さく跳ねる。
抑えを失くした口からは譫言にも似た声が漏れた。
「花白、」
呼ぶ声は熱を孕んで掠れ、鼓膜を震わせ背筋を駆ける。
視線だけでも逃がそうとして、けれどもそれは叶わなかった。
顎を取られ上向かされる。目と目がカチリとぶつかった。
重ねられた唇と、呼気に混じった血のにおい。
息苦しさに目眩を覚え、月白の胸を押すけれど。
不意に途絶えた接触に戸惑い、え、と小さな声が零れた。
相手の顔を窺おうにも抱き締められては叶わない。
背に回された二本の腕には強い力が込められて。
息苦しさに身じろげば、はっとしたように僅か緩める。
それでも顔は見えなくて、おずおずと月白に声を投げた。
「どう、したの」
僕の肩に顔を埋め、動かない相手が息を呑む。
なんでもないと言うかのように、ゆるゆると首が横に振られた。
そっとその背に腕を回せば、ひくりと肩を震わせて。
「……はなしろ、」
縋るように呼ばれる名前と、ぎゅうと力の込められた腕。
泣いているのかと思うくらいに声も身体も震えていて。
けれど緩やかに上げられた顔に涙の流れた跡はなく。
苦しげに、悲しげに、眉根を寄せて微笑っていた。
何度も重ねた行為だけれど、こればっかりは慣れそうにない。
押し入る熱に体が強張り、ひ、と声が引き攣った。
過ぎる苦痛は快楽へ昇華し全身隈なく運ばれる。
唇を噛み締め遣り過ごそうにも指で制され叶わない。
抉じ開けられた唇に相手のそれが重ねられた。
深く荒く貪られ、ただでさえ苦しい呼吸が乱れる。
切れた唇に走った痛みは離れ際に舐められたから。
ちろりと覗く舌先が、他より赤く濡れていた。
胸を押す手は背に縋り、汗の浮く肌に爪を立てる。
相手は僅かに顔を顰めて、けれども咎めようとはしない。
かえって「いいよ」と囁かれ、悔し紛れに強く抉った。
最奥を突かれて身体が跳ねる。
迎えた絶頂、吐き出した熱。迸る声は尾を引き消えた。
弛緩した身体は抱き寄せられて、二本の腕に閉じ込められる。
逃げ出すことは叶わない。少なくともこの腕からは。
寝入った月白の腕の中、そろりと身動ぎ目を開ける。
眠る相手の顔を窺い、その肩越しに扉を見遣った。
閉ざされた扉、錆びた錠。それを開けるべき鍵はない。
逃げようと思えば逃げられたのだ。
鍵など掛けられていなかったのだから。
思考とも呼べない物思いから、不意に現実へ引き戻される。
いかないで、と零れた声にぎくりと体を強張らせた。
恐る恐る視線を戻すと月白は変わらず夢の中。
薄く開いた唇からは、ここにいて、と微かな声が。
「……いるよ、ちゃんと……」
眠る相手の白い頬に、そうっと指を這わせて紡ぐ。
本当は意識のある時にこそ伝えて欲しい言葉だった。
閉じ込められた理由すら、月白は僕に教えてくれない。
でも少しだけ、ほんの少し、彼の気持ちが解った気がする。
何度も何度も名を呼ばれ、呼ばれる度にそれに応えて。
どんなに酷く抱かれても突き放すことなんて出来なかった。
縋っているのは僕なのに、縋られているような気がしたから。
拒んだら、突き放したら、月白が壊れてしまうんじゃないかって。
そんな風に、思ったから。
相手の胸元に顔を埋め、その心音に耳を澄ませる。
とくとく流れる命の音が甘い睡魔を呼び寄せた。
言ってくれなきゃわからないよ、と。
声なく紡いだ僕の言葉が相手に伝わるはずもない。
そっと目を閉じ世界を閉ざして眠りの波に意識を預けた。
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