ガチンと響いた鈍い音。手の中に残る古い鍵。
それを懐に忍ばせて、閉ざした扉に目を向ける。
鏡板に手指を這わせ、こつりと額を押し付けて。
名残惜しさを必死に殺し、意識と身体を引き剥がした。
─暗黒天国─
こつこつと並ぶ背骨をなぞり、震える肌を柔く喰む。
軽く歯を当て舌を這わせばひくりと華奢な四肢が跳ねた。
鼻に掛かった甘い声を押し殺そうと必死になって。
それがこちらを煽っているとは気付いていないに違いない。
噛み締めていた皮膚は切れ、つ、と緋色が一筋落ちる。
それを舐め取り口吻けて、駄目だろ、なんて囁いた。
「、痛……」
「切れてるもの、あたりまえでしょ」
だからもう噛んじゃ駄目だからね、と。
そう言いながら微笑んでみせ、傷付いた箇所に噛み付いた。
花白の身体がびくりと跳ねて、傷口からは血が滲む。
肌を濡らすその色彩に背筋をぞくりと何かが駆けた。
貪るように唇を塞げば息苦しいのか身動いで。
細い腕で、弱い力で、俺の胸を押すけれど。
いつしか縋り付くかのように細い手指が服を握った。
逃げ惑うばかりだった花白の舌が拙い動作で返してくれる。
仄かに染まった目元から涙が一粒ほろりと落ちた。
焦点を失いつつある緋色に隠し切れない熱が滲んでいて。
「っ、」
たったそれだけのことなのに意識が大きく揺さぶられる。
堪らず両手を背に回し、痩せた身体を抱き締めた。
驚きに零れた小さな声と、どうしたの、と控え目な問い。
言葉を返すことなど出来ず、ただゆるゆると首を振った。
首筋を髪が掠めたのか、くすぐったそうに震える吐息。
そろりと背中に添えられた手に大袈裟なくらい肩が跳ねる。
知らず腕に込めた力は細い身体を抱き潰すほど。
けれど文句のひとつも言わずに、花白は受け止めてくれている。
びっくりして、嬉しくて、でも苦しくて、泣きたかった。
涙の代わりに浮かべた笑みは、見られたものじゃなかったけれど。
ひ、と引き攣る花白の声が鼓膜を震わせ下肢へと落ちる。
執拗なまでに解したそこは俺を容易く飲み込んだ。
仰け反る喉に散らせた鬱血、強張る四肢にも点々と。
噛み締めた唇を無理矢理抉じ開け、傷口を喰み舌を這わせる。
貪るように口吻けて、呼吸も嬌声も飲み下した。
赤く濡れた唇と、そこから零れる熱い呼気。
しがみ付く手の力は弱く、突き上げる度に震えが走った。
背に縋る手が爪を立て、けれども僅かな躊躇いを見せる。
そんな様が愛しくて、いいよ、と耳元に囁いたけど。
丸く大きく瞠られた目には物言いたげな色がある。
次いで肌に覚えた痛みに気付かれないよう笑みを零した。
苦痛の色は快楽に消され、甘く切なげな嬌声が上がる。
その反応を引き出すように揺さぶり打ち付け突き上げた。
気遣う余裕も今はなく、ただひたすらに追い詰める。
白く弾ける意識の中で一際高い悲鳴を聞いた。
ひくりひくりと震えた後に花白の身から力が抜ける。
荒い呼吸に時折混じる甘さの残った掠れ声。
今にも意識を失いそうな華奢な身体を抱き締めた。
疲れ果てて眠った子供の幼い寝顔をじっと見る。
泣き腫らした目元にそっと触れ、涙の跡を指でなぞった。
猫の子みたいに頬を寄せられ、柔らかな髪が肌を撫ぜる。
呼吸の度に上下する胸と露わな肩にシーツを被せた。
束の間触れた真白い肌は指にひやりと冷たくて。
早く体温が戻るようにと手のひらをそっと押し当てた。
規則正しい寝息が乱れて不明瞭な言葉が漏れる。
月白、と零れた呼び声に、心臓がぎくりと大きく跳ねた。
「……なんで、」
何も言わずに連れて来て、こんな所に閉じ込めたのに。
花白の意思など関係なしに、あんな酷いことを強いているのに。
何故どうしてと問うこともなく、花白は涙を流すだけ。
眠る子供を起こさぬように寝台を抜け出し部屋の外。
鏡板に背を預け、ずるずるとその場に座り込む。
錠と鍵とを取り出して、強く強く握り締めた。
ただ傍にいて欲しかった。
それだけじゃ足りないと気が付いたのは一体いつのことだっただろう。
もう二度と失いたくなくて、どうしたらいいのか解らなくて。
解らないまま花白の手を取り暗闇の中に押し込めた。
「……、……ッ!」
手の中にある錠と鍵とを力の限り投げ捨てた。
耳障りな甲高い金属音が長い廊下に響いて消える。
扉の内でその音を聞き、震える影には気付けなかった。
こんなものがなくたって花白はここから出ないだろう。
現に一度も使わなかった。錠も、鍵も、どちらとも。
花白は知っていたはずなのに、それを確かめようともしなかった。
逃げようと思えば逃げられたのに。本当は、逃げて欲しかったのに。
矛盾してると自嘲して、渦巻く想いに泣きたくなった。
ごめんね、なんて。ゆるして、なんて。
今更そんなこと言えないけれど。
込み上げる想いを押し殺し、組んだ腕に爪を立てた。
痛みを無視して抉った皮膚から赤い雫がぽたりと落ちる。
いつ終わるとも知れない暗闇の中で、花白の声を聞いた気がした。
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リクエスト内容(意訳)
「リマ症候群未来救とストックホルム症候群花白」
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