じりじりとした焦燥を抱き、ねえ玄冬、と彼を呼ぶ。
返事はどこか上の空で、視線は本へと向いたまま。
むっとしながら手を伸ばし、本を取り上げぱたりと閉じる。
非難の色濃い目を向けられても今回ばかりは譲れなかった。
─はじめの一歩─
返せとでも言いたげな目を向けられて、けれど僕はにっこり笑う。
寝台に座った玄冬の上へ、乗り上がるみたいに距離を詰めた。
たじろぐように泳ぐ視線と、徐々に朱色を帯びる頬。
可愛いなぁと思いながら、ねえ、と甘く囁いた。
「僕たち、さ。さそろそろ先に進んでもいいと思うんだけど」
「先、って……花白……」
膝立ちになった僕の方が、今は少しだけ目線が高い。
おどおどとこちらを見上げる様子に、じり、と熱が煽られた。
そっと頬に手を添えたら、びくりと玄冬の肩が跳ねる。
花白、と名を呼ぶ声は掠れて、戸惑っているのがよく分かるけど。
だけど今更、退けないし……。
怖がらないで欲しいのに、気の利いた言葉が浮かんでこない。
安心させようと名を呼んだけど、声には余裕の欠片もなくて。
内心で小さく舌を打ち、あまりの情けなさに歯噛みした。
「ねえ、玄冬」
頬に触れた手を静かに外し、ことんと小首を傾げてみせる。
駄目かな、なんて囁きながら、困ったみたいに眉を下げた。
玄冬の目が左右へ泳ぎ、一度伏せられ息を吐く。
ゆるりと開いた藍色の目が、今度は真っ直ぐに僕を見た。
「……、……わかった」
ぼそ、と零された声を聞き、舞い上がりそうになったのも束の間。
ぐるりと視線が一転して、あれ、と両目を見開いた。
背中には寝台の柔らかさ。見上げた先には玄冬の顔。
組み敷かれるような体勢に、頭は疑問符でいっぱいだった。
「え。え? あの……くろ、っ」
彼の名を呼ぼうと開いた口から小さく短い吐息が漏れる。
不意に落とされた口吻けに、ひくりと体が跳ねてしまった。
額にひとつ、鼻先にひとつ。左右の頬にも一度ずつ。
唇を掠め、次いで塞いで、少しずつ少しずつ深くなる。
息苦しさに霞む思考と涙でじわりと滲む視界。
ぷつ、と釦を外されて、はっと小さく息を呑んだ。
「ちょ、っと、待って……!」
息継ぎの間に玄冬を押し退け、口元を押さえて睨み上げる。
不思議そうな顔をして、彼の手がそっと頬に触れた。
怖いのか、と囁く問いに、そうじゃなくてと首を振る。
「……、花白」
名を呼ばれ、顔を上げたら、困ったような彼の笑顔。
目に掛かる髪をそうっと梳いて、大丈夫か、と案じる声で。
だいじょうぶ、と返したけれど、玄冬は信じてくれないみたい。
寛げた衣服を掻き合せ、外した釦を留め直そうとして。
「無理は、するな」
柔らかな声と甘い微笑、諭すような口調で言う。
ぽん、と頭を撫ぜる手が、向けられる視線が優しくて。
けれど同時に酷く苦しい。
だってそれは、拒絶だから。
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