辿り着いた扉の前で、またも目眩に襲われた。
堪らず柱に手を突いて、ずるずるとその場に膝をつく。

差し出された腕をじっと見て、恐る恐る手を伸ばした。
重なる手と手、温かな肌。手を握られる心地よさ。
吐き出した息は白く凝って雪混じりの風に浚われる。

窓辺、室内、雪嵐。
声を掛けられ振り返る先に湯気立つカップが差し出される。
受け取り、微笑み、唇を寄せる。
ぽん、と頭に乗せられた手の、優しさに満ちた感触が。

笑い合う声、窓硝子。
夜に沈んだ景色のために、鏡のように周囲を映す。
笑い声の主が映る寸前、ばちん、と夢から弾き出された。





目眩に鈍い頭痛も加わり、荒い呼吸を繰り返す。
今のは一体何なんだ。何が何だか解らない。
良くないものであろうことだけは嫌と言うほど解ったけれど。

奥歯を噛み締め立ち上がり、目の前の扉に手を伸ばした。
金属の取っ手を強く引くと軋む音と共に開かれる。
一歩また一歩と進む度に足が鉛になるようだった。

頭痛と目眩が強くなる。
何事か叫ぶ誰かの声は耳鳴りのように近くて遠い。





長い長い回廊の先、最後の扉を開け放つ。
びくりと震えた小さな身体、大きく瞠られた夜色の目。
十歳前後の痩せた子供が暗い部屋の中に立っていた。

一言二言言葉を交わし、すらりと腰の剣を抜く。
早く早く終わらせてしまおう。痛くないように、苦しまないように。
内心小さく「ごめんね」と呟き、手にした剣を子供に埋めた。

衣服を、皮膚を、肉を断つ感触。びくりと跳ねる細い四肢。
刺し貫いた刀身を伝う命を宿した緋色の雫。
鈍い音をたてて床に転がる名前も知らない小さな子供。
見開かれたままの両の目からは、つ、と涙が伝い流れて。





瞬間、視界が大きく揺らぎ、思わずその場に膝を突いた。
床に突き立てた剣に身を預け、吐き気を堪えて息を継ぐ。
救世主様!? と呼ばわる声と、焦り駆け寄る足音と。
大丈夫だと紡ぐつもりが、吐き出されたのは別の音。

「さわるな」

縋っていた剣が床を離れ、振り向き様に背後を凪ぐ。
頭が理解するより早く、使用人が崩れ落ちた。
大量の緋が溢れ出て、べったりと俺に降り注ぐ。
重い音を立て床に伏し、微動だにせず声もない。

「……な、……」

なんで、こんな。
自分のしたことの意味が解らず、よろめき壁に背を預ける。
寒くもないのに歯の根が合わず、ガチガチと耳障りな音を立てた。





不意に脳裏に生まれた違和感。
布地に落としたインクのように、じわりじわりと広がって。
侵食される恐怖に震え、堪らず外へと飛び出し駆けた。

黒点は徐々に大きくなる。
どろどろとした感情のうねりに、今にも囚われてしまいそうで。
どうして、と叫ぶ声がする。涙混じりの悲痛な声が。
血に染まった手、転がる屍体。

あれは、あれは、
……見たくない……!

自室に逃げ込み息継ぐ間もなく、割れるような頭痛が走った。
ころしたくなかったのに。
すぐ後ろからの囁きに、ばっと振り向き目を見張る。
誰もいない。いるはずがないのに、声が、声が、あの声が止まない。





扉を強く叩く音、俺の名を呼ぶ耳慣れた声。
助けを求めて伸ばした腕に、白く細い手が絡み付いた。
体温のない腕、あるはずのない、この目に見えて視えぬ腕。

ふつりと何かが途切れる感覚、浮かせた腕がぱたりと落ちた。
自分の意志とは関係なく、剣を逆手に持ち替える。
切っ先を軽く鳩尾に当て、ふ、と薄い笑みを浮かべた。

開かれる扉、幼馴染の声。大きく瞠られた蒼色の双眸。
制止の腕も声も届かず、剣はこの身を貫いた。
込み上げる熱を吐き出して、零れた朱に涙する。

崩れた身体を抱き起こす腕と、珍しく焦った表情と。
何故を繰り返す声を聞きながら、重い瞼で世界を閉ざした。






リクエスト内容(意訳)
「急速に戻る花白の記憶のために狂っていく未来救」

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