ずるずるとその場に崩れ落ち、そのまま扉に身を預ける。
瞬きを忘れた両の目からは涙が溢れて止まらない。

「……どう、しよう……」

ずっと言おうと思っていたことを、こんな形で知られてしまうなんて。
いつか、いつかと先延ばしにしていたことが、こんな結果を招くなんて。

カタカタと歯の鳴る音がして、ようやく身体の震えに気付いた。
意識した途端に悪寒が走り、慌てて服に手を掛ける。
酷く緩慢な手指を動かし一枚一枚床へ落とすと、べしゃりと重たい音がした。

畳もうという気力もなく、浴室に一歩足を踏み入れ温かな浴槽に手を差し入れる。
浸した指の先の方からじわじわと熱は伝わってくるのに、心は依然冷え切ったまま。
手桶でお湯を汲み上げて、頭から被っても同じこと。
ぽたぽたと落ちるお湯に混じって、涙が流れていくのが解る。





「……」

どんどん気分が重く沈んで、立てなくなってしまいそうだった。
振り払おうと首を振っても滴が周囲に飛び散るだけで。
湯船の縁に手を掛けて、よろけながらも立ち上がる。
とりあえず身体を温めようと、そう思って片足をお湯に浸した時だ。

「っ、……ぁ!」

ずるりと滑る、視界が回る。
強かに打ち付けた肩が痛み、それを感知するより早く一切の音が遠ざかった。
ごぼごぼと鳴るのは吐き出す息で、代わりにお湯が押し入って来る。
苦しい、苦しい、息が出来ない。
ばたばたと藻掻けば藻掻くほど、気管は塞がれ思考が潰れた。





徐々に薄れゆく意識の中で、あるはずのない音を聞く。
きっと幻聴なんだろう。
玄冬の呼ぶ声が、した。





と、不意に腕を掴まれて、そのまま強く引っ張られる。
水面から顔が浮かび離れて大量のお湯を吐き出した。
咳き込む僕を湯船から引き上げて、身体を支えてくれる腕。
滲みぼやけた視界には、見慣れた色の髪と目が。

「花白! おい、しっかりしろ!」
「……くろ、と……?」

まさかと思って口にした名前、どうして、と音のない声が零れる。
そのどちらにも応えは返らず、玄冬はくしゃりと顔を歪めた。
今にも泣きそうなその表情に僕は思わず息を飲む。





「っこの、馬鹿!」

至近距離で怒鳴られて、びくりと大きく身体が跳ねた。
そっと窺う玄冬の顔には複雑そうな色がある。
安心したような、けれど怒っているような。
どっちつかずの感情に、玄冬自身も戸惑っているみたい。

「……玄冬、怒ってる……?」
「あたりまえだ」

恐る恐る投げた問いは間髪入れずに打ち返された。
同時にきつく睨まれて、口を噤んで下を向く。
返す言葉なんてあるはずもない。
玄冬を怒らせるだけのことを、ずっと隠していたんだから。





「あ、の……あのね、玄冬、」
「何故、俺を呼ばなかった」
「……え?」

低く低く掠れた声。
感情を押し殺そうとして、それでも溢れてしまったような。
そんな色の、声が響く。

「俺が気付いたから良かったものの、」

言ってじっと僕を見た。
気のせいだとばかり思っていたのに、その両の目には涙があって。
見る見る溢れ頬を伝って、ぽつりと僕の鼻先に落ちた。

「下手をしたら、っ死んでいたかもしれないんだぞ!?」
「……、……」

ぽたぽたと落ちる涙と、嗚咽混じりの玄冬の声と。
申し訳なくて、でも嬉しくて、指先でそっと涙を拭った。
ぴくりと玄冬の身体が震え、紺碧の目が僕を映す。





ごめんね、と小さく言葉を紡げば、解れば良いと返されて。
それから急に顔色を変えて、慌てたように目を逸らす。

「……玄冬?」
「っ動くな! 頼むから動かないでくれ!」
「……僕、また何かした……?」

不安に駆られてそう問うと、玄冬は首を横に振った。
僕の顔をちらりと見て、けれどすぐに視線は逸らす。
何を慌てているのだろうと仰いだ玄冬の顔が赤い。
耳とか、頬とか、熱があるんじゃないかと思うくらいに。

「っ、そうじゃない! ただ、」
「ただ?」

ただ、何なの? と詰め寄るように、玄冬の顔を覗き込んだ。
止せ離れろと上ずる声と、完全に引けてしまっている腰と。
焦ったように周囲を掻く手が転がっていたタオルを掴む。
それをばさりと掛けられて、視界が一瞬埋まってしまった。





「ちょっ、玄冬、何、」

抗議の声を上げようとして、タオル越しに頭を撫でられる。
髪の水気を取るかのように、くしゃりと優しく、何度も何度も。

「……、……着替え、置いておくからな」
「……え……あ……」
「向こうで、待ってる。今度は溺れるんじゃないぞ」
「……、……」

ぽん、と最後に触れた手は、するりと離れて扉の方へ。
閉じた扉の向こう側、やや早く聞こえる玄冬の足音。
その場にぺたりと座り込み、両手で顔を蔽い隠した。

手のひらに触れる頬が熱い。
きっと真っ赤になっているんだろう。
さっきの玄冬と同じくらいに。
いやもしかしたら、それ以上に。





さっきまでの気まずさはどこへやら。
これじゃあ恥ずかしくて出ていけないよ……!











リクエスト内容(意訳)
「花白おんなのこ。花に捧ぐ後、発覚」

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