「かえりたい?」
疲労と睡魔に呑まれ掛けた意識が幼さの残る声に引き戻された。
言葉の意味は右から左へ、朧な思考を上滑る。
だるい身体を僅かに捩ると藍色の目が俺を見ていた。
ぱちりぱちりと瞬いたら、困ったように首を傾げて。
控えめな、少し掠れた声で、かえりたい? と繰り返す。
「うんって言ったら帰してくれるの?」
今まで一度も外へ出してくれなかったのに?
揶揄する口調で問いを返すと華奢な肩が小さく跳ねた。
泣きそうに歪んだ白い顔と、たじろぎ揺れる藍の視線と。
苦しげな表情で口篭り、叱られでもしたかのように俯いてしまう。
さっきまでの行為が嘘みたいに目の前の子供は幼かった。
十も離れた俺を組み敷き散々啼かせた相手だとは到底思えない。
幼いが故の残酷さを持ちながら歳に似合わぬ気遣いを知っている。
だからきっと今みたいに迷うんだろう。
迷って迷って、解らないまま、細い腕を必死に伸ばして。
「本当は、行って欲しくないけど」
きゅっと手指が拳を作り、込めた力で小刻みに震えた。
彷徨っていた視線が止まり、真っ直ぐに俺の目を射抜く。
思わず逸らしてしまいそうで、けれど懸命にそれを堪えた。
逸らしたら、この子はきっと泣いてしまうから。
涙は見せずに心の中で、ただただ静かに泣くだろうから。
「あなたを心配してる人、いるでしょう……?」
薄い唇が紡いだ問いに知らず知らず息を呑む。
脳裏に描いた面影と名を慌てて打ち消し目を閉じた。
ふ、と微かな吐息の音が鼓膜にぶつかり落ちていく。
悲しげな色を宿しながら。
「帰ってくるって、約束して」
そうしたら、行ってもいいよ。
続いた言葉に目を開き、真摯な眸に気圧された。
迷うことなく、ただ真っ直ぐに、心中すべてを曝け出す目。
その藍色が、恐ろしかった。
目を逸らすことすら出来ないくらいに。
「……約束、破るかもしれないよ」
薄く笑みながら投げた言葉に子供は緩く首を振る。
さらさらと鳴る黒髪が輪郭に沿ってふわりと揺れた。
再び合わせた一対の藍に、疑う色など欠片もなく。
「破らないよ。あなたは、絶対」
強い言葉は呪いのように心の臓へと絡み付く。
真綿で首を絞めゆくように、やんわり纏わり剥がれない。
白く細い手が伸ばされて、髪一筋を掬われた。
弱い力で握られ引かれて自然と距離は近くなる。
相手の顔が肩口に埋まり、首筋にちりりと痛みが走った。
淡い鬱血に舌が這わされ、その感触に身体が跳ねる。
縋るように背に回る腕と、蚊の鳴くような微かな声。
待ってるから、と泣きそうな音。くぐもる言葉を抱き締めた。
帰って早々幼馴染と鉢合わせ、執務室へと引き摺り込まれた。
腕を掴む手の力は強く、骨がぎしりと軋むよう。
廊下を歩む間も、扉を閉めた今ですら、相手は口を噤んだまま。
怒っているなと思いこそすれ、手を振り解くことなど出来るはずもない。
長いような短い間の後、絞り出すような低い声が俺を呼んだ。
なに? と首を傾げると、堰を切ったような怒号が響く。
「今まで何処へ行っていたんだ! 皆がどれだけ心配したと……!」
それも次第に勢いを無くし、震える両手が肩に置かれた。
俯く表情は窺い知れず、無事だな、という声だけ届く。
こくりとひとつ頷き返すと一対の蒼色が俺を見た。
髪に頬にと触れる手指がくすぐったくて目を閉じる。
撫ぜられる感触に笑みを零すと、背中に腕が回された。
懐かしい匂いを近くに感じ、涙が出そうになったけど。
ごめんね、と声なく紡ぎ、相手の背中に手を添える。
明日には別れる温もりを少しでも留めようとするかのように。
大切な人、在るべき場所、この腕すらも裏切って。
俺はあの子に囚われる。二度とここへは戻らない。
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リクエスト内容(意訳)
「隊→救前提、こく救エロ。鬼畜、監禁」
鬼畜と言うよりも言葉でじわじわ自由を奪う春告げ玄冬になってしまいました。
力不足で申し訳ない……。
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