とん、と足元に軽い衝撃。
テーブルの下へと落とした視線が赤い丸い目とぶつかった。
甘えるように身を寄せられ、高い体温に頬が緩む。
「今日は猫なんだな」
こちらを見上げる目が瞬き、こくりと小さく首を傾げた。
返事の代わりにしようと言うのか、膝の辺りに尾を巻き付けて、とん、と再び体をぶつけてくる。
ほんの僅かに身をずらすと、軽やかに膝上へと飛び乗り、胸に置いた前足を支えに背伸びをした。
間近に迫る猫の顔。ひくひくと動くピンク色の鼻。
白い毛並みは艶やかに、細い髭が頬をくすぐる。
拾った当初は解らなかったが大層きれいな猫だった。
艶のない灰色に見えた毛並みは洗い上げれば眩い白に。
痩せこけていた貧弱な身体も日を追う毎に均整のとれたそれへと変わった。
妙な体質は相変わらずだが。
「……こら、よせ」
ざらつく舌で口端を舐められ、思わずその身を押し除けた。
両脇の下に手を差し入れて、半ばぶら下げるようにして。
大丈夫なのかと心配になるほどに軽い身体を抱き上げる。
叱られていると解っているのか解らぬ振りをしているのか、猫は小首を傾げるだけ。
やめろと言われているというのに首を伸ばして顔を寄せる。
ちろりと覗いた赤い舌が、今度は鼻先をざらりと撫ぜた。
「……」
無言で睨み合うこと暫し、先に目を逸らしたのは猫の方だった。
そういう習性があるのだから当然と言ってしまえばそれまでなのだが。
カタンと椅子から立ち上がり、抱えていた猫を床へと下ろす。
恐らく遊び足りないのだろう。
足元に纏わり付く小さな身体を蹴り飛ばさぬよう歩みを進めた。
「おまえは待ってろ。風呂から出たら遊んでやる」
風呂、の一言に目の色を変え、猫は足に縋り付く。
よじ登ろうとして失敗し、抱き上げろとばかりに俺を見た。
言わなければ良かったと俺は心底後悔した。
布地越しに立てられた爪がちくりちくりと肌を刺す。
最終的には噛まれるだろうかと、そんな様子の猫を見て思った。
「おまえは駄目だ。また飛び込むだろう?」
そう、飛び込むのだ。こいつは、風呂に。
水に濡れることを厭わないだけでも珍しいというのに、風呂好きなのだ。
猫の癖に。
振り払ってバスルームへ入ると、カリカリとドアを引っ掻く音が。
それが不意にピタリと止む。
次いで耳に届いた音は、ぺたぺたとドアに触れるもの。
脱ぎ掛けの衣服もそのままに、ドアをそっと押し開けた。
薄く開いたその隙から、こちらを覗き込む赤い丸い目。
入れてくれるの? とでも言いたげに、こっくりと首を傾げてみせる。
「……入りたいのなら猫のままでいろ」
フローリングにぺたりと座った、痩せた男にそう告げる。
きょとんと両目を見開いて、それからにこりと目を細めた。
脱いだ衣服を洗濯機に投げ込み、一歩踏み出した足元に、とん、と柔らかな衝撃が。
纏わり付いた小柄な猫が、こちらを見上げて喉を鳴らした。
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