溺れていると知りながら、伸ばす腕を止められない。
暗闇に沈む輪郭を撫ぜ、確かに在ると安堵する。
息継ぐ暇もないくらい、深く沈めと密かに願った。
―忠告、若しくは―
瞬きをすることさえ惜しい。
目に映らずとも閉ざしたくはなかった。
触れた肌の熱だけでは、とてもじゃないけど物足りない。
「……っ……」
首筋に甘く歯を立てられて、意図せず漏れる吐息が跳ねた。
噛み締めた唇をなぞるよに、啄むだけの口づけが落ちる。
触れては離れ、離れては触れ、何度も何度も繰り返す。
「ねえ」
僅かに顔を横へ逸らせて、相手の吐息を頬に受けた。
なんだ、と返される声に混ざった不満げな色に薄く笑む。
「明日、仕事じゃなかったの?」
「仕事の有無が関係あるのか?」
肩口に埋まる吐息と声と、項をなぞる舌の感触。
強張る背筋がざわりと粟立ち、お返しとばかりに爪を立てた。
「だって明日は戦地でしょう?」
乱れた息を押し殺し、投げた問いには常の声。
それがどうした、と何事もないかのように。
紡がれた音は孕んだ熱が滲んで溶けて、ほんの少しだけ掠れてる。
たったそれだけの変化が癪で、噛みつくように口端に触れた。
「寝不足で死なれたら困るんだけど」
「そんな理由で死ぬか。それに、」
頬に添えられる手、深く貪る接触。
吐息も言葉も何もかも、魂すらも呑まれるような。
思考が白く霞に沈む、その隙間から強い声。
「死んでも、ここへ帰ってくる」
必ずだと、そう言い切って。
見開く視界は真っ暗闇。だのにカチリと視線がぶつかる。
突き抜ける空の蒼さが沁みて、思わず両の目を細めた。
小指を絡め、唄わずとも、約束は既に交わされた。
彼は戻ってくるだろう。必ずここへ、俺の隣へ。
仕方がないから待っててやるよと、言いかけた口を塞がれる。
飲んだ言葉を腹に抱えて、吐息ばかりの笑みを零した。
相手の耳朶に噛みつきながら、囁くように小さく告げる。
せいぜい死なぬよう気を付けろ、と。
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