しばらく留守にするからさ。ひよこと花白よろしくね。
いつものようにへらへら笑い、ひらりと振られた手のひらの白。
その眩さが目に焼き付いて、寝ても覚めても剥がれない。










―君影―










行き先を、訊きそびれた。留守にする期間も同様に。
気付いたときには既に遅く、救世主の背中はおろか気配すら掴むことは出来なかった。
額に手を遣り、息を吐く。
すぐに帰ってくるだろうと、初めはそう考えていた。

一日二日、三日経ち、仕事が異様に捗った。
五日、七日、十日が過ぎて、不在の静けさが身に沁みる。
二十日目を迎える頃になると、どうにも落ち着きがなくなった。

ペンを握る手が止まり、ぽつりと書類に染みを作る。
朱肉で袖を赤く染めたり、判を上下逆に捺したり。
溜息が多いと妹たちに嗜められ、幸せが逃げると文官に苦笑され、鬱陶しいと花白に睨まれた。





俺が、何をしたと言うんだ。





仕上げた書類を文官に託し、執務室の扉を閉める。
と、

「おかえり、タイチョー」

耳慣れた、けれど懐かしい声。
咄嗟に振り向き、椅子に座す姿を見、呼吸の仕方を一瞬忘れた。
ひらり、振られる白い手と、へらりと緩いその笑顔。

「……どこをほっつき歩いていた」

投げる言葉は低く掠れた。
相手の紅い目が、開く。
困ったような、おどけるような、曖昧な笑みで首を傾げた。

「ちょっとそこまで?」
「茶化すな、馬鹿者」

伸ばされる腕をかわし捕らえて、荒れた手指に息を呑む。
長く伸びた爪は欠け、ぱさつく髪には砂が絡んでいた。
頬の肉が僅かに落ちて、少しやつれたようにも見える。





どこで何をしていたのか。
連絡ひとつ寄越さずに。





問い詰めたいのを飲み込んで、掴んだ腕をそっと離した。
そのままするりと背に回る手を、溜息ひとつで受け入れる。

「あれ。叱らないの?」
「……叱られたいのか」
「や、遠慮しますゴメンナサイ」

きゅう、と抱き付き縋る痩躯に、慣れない腕をゆるりと回した。
驚いたように瞬く緋色が、余りに近くて目を逸らす。

「ただいま、タイチョー」

耳元に落ちる囁きに、ふんと鼻を鳴らして返した。
また騒がしい日常か。
滞るであろう書類の山は想像しただけで目眩がする。










そう思いながらも浮かんだ笑みには知らぬ存ぜぬをただ通した。











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