躊躇いもなく伸ばされる腕に、知らず体を固くした。
髪一筋を掬うみたいに、ほんの微かに頭に触れる。
なにと紡いだ声を受け、熊さんの目が俺を映して。
そこに滲んだ穏やかな色に、今度は心臓がひくと震えた。
─蝶が運ぶ─
ほら、と差し伸べられた指。その先にあるのは鮮やかな翅。
はたはたと羽ばたきを繰り返す一尾の蝶がそこにいた。
どうしたのこれと問いを投げれば気付かなかったかと返されて。
何がと重ねた問い掛けに、ふ、と相手は息を吐く。
「頭にとまっていたんだぞ」
「は、」
「花か何かと間違えたんだな」
おまえの髪はきれいだから、と。
恥ずかしげもなく紡がれた言葉に見る見る顔が熱くなる。
咄嗟に返す言葉もなく、押し黙ったまま目線を逸らした。
熊さんの指を離れた蝶がひらりひらりと風に舞う。
波を描くように飛びながら、俺の眼前ではたはたと。
「懐かれたな」
「嬉しくないよ」
あっちへ行きなと手を振るけれど、蝶は変わらずはたはたと。
見えなくなったと思ったら、頭の上に軽い感触。
まさかと熊さんへ視線を向ければ、ここだ、と指で示してみせた。
「ぼーっと見てないで手伝ってくれない?」
「楽しそうじゃないか」
「誰がだよ」
潰さないように、傷付けないように、ほら離れてと手で追うけれど。
束の間ひらりと距離を取り、すぐ戻るのだからキリがない。
「向こうに花壇があっただろう?」
「え?」
「そこへ連れて行ってやればいい」
そうすれば離れていくだろうさ、と。
穏やかな顔で言うけれど。
変わらずひらひら飛び交う蝶に、それホント? と問い掛けて。
返らぬ応えに小さく笑い、爪先を向けたのは庭の奥。
追い掛けてくる一尾の蝶は、ちょっとだけ可愛く思えたけれど。
隣を歩む熊さんについては、ひとまず黙っておくことにしよう。
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