ばたばたと窓を打つ耳障りな雨音。
それに半ば掻き消されながらも耳に届いた息遣い。
苦しげに気管を喘がせて、血反吐を吐くような咳をしていた。
扉へ伸ばした手が止まる。
躊躇い躊躇いコツリと叩けば、ふっと周囲に静寂が満ちた。
―特効薬―
二言三言の遣り取りを終え、扉に手を掛けそうっと開く。
きしとも軋まぬ蝶番、代わりに届いた衣擦れの音。
静かに静かに扉を閉ざし、衝立の方へと足を運んだ。
白く清潔に整えられた寝台の上で、やわらかな笑みが咲いている。
上体を起こし、こちらを向いて、よく来たね、と柔い声。
耳に馴染んでいるはずの音。だのに普段より皹割れ掠れて。
ぎゅっと心臓が縮こまるような、嫌な感覚から目を逸らす。
「具合、良くないって、聞いた」
笑みを絶やさぬ相手を睨み、突き放すように言葉を投げた。
ほんの少しだけ目を丸くして、けれども灰名は微笑んだまま。
おいでおいでと僕を手招き、寝台の端をぽんと叩いた。
促されるまま腰を下ろして、何も言えずに口を噤む。
「心配して来てくれたのかい?」
「っ、別に……そんなんじゃ……」
ないけど、と続けてようとした言葉はもごもごと不明瞭に消えていく。
それは寂しいな、なんて。苦笑する声に唇を噛んだ。
「起き上がってて大丈夫なの」
「寝てばかりいるのにも飽きてしまってね」
「……そう」
さっきまであんなに咳き込んでた癖に。
そう思っても口には出せない。
代わりにスイと視線を逸らして、あれ、と僅かに目を見開いた。
サイドテーブルの上に置かれた硝子の水差しと薬包紙。
開いた形跡はまるでなく、コップが使われた様子もなくて。
どうしたんだいと問い掛ける声に、灰名、と低く名を呼び返す。
くるりとそちらへ顔を向ければ、しまったとでも言いたげな顔をして。
それも束の間、笑みを繕い、ことりと首を傾げてみせる。
「薬、飲んでないんでしょ」
「……なんのことだい?」
はぐらかそうと浮かべた笑顔、けれど僅かに泳いだ目。
じとりと座った目で睨み付けると、やや間を置いて息を吐く。
敵わないなとでも言いたげに。
「あまり食欲がなくてね、食後に飲むよう言われている薬なんだよ」
「食べてないってこと?」
「ああ」
ひとりで食べても味気ないんでね、と。
肩を竦めてそう零す。
駄目だろ、とか、ちゃんと食べろよ、とか。
言っても曖昧に頷くだけで。
「……薬師に言い付けてやる」
「おや、それは困るな。あの人には昔から頭が上がらないんだ」
何しろ付き合いが長いからね。
苦笑しながらそう言って、ふぅむと暫し考える。
それからちらとこちらを見遣り、にまりと口元を歪めてみせた。
思わずその場で身を退くけれど、はっしと腕を取られてしまう。
掴まれた腕と灰名の顔とを交互に見遣り、何、と小さく声を掛けた。
「花白、これから時間はあるかい?」
「え……う、ん……今日は、特に用事もないけど……」
「そうか。なら、うちで夕食を食べるといい」
うんうんと一人で頷いて、いつの間に呼び寄せたのか馴染みの女中に二言三言。
恭しく礼をして去っていく背中をただ呆然と見送るばかり。
なんでそうなるんだよ! と口を挟む隙もなかった。
構わないだろう? と問われても、今更じゃないかとしか返せない。
はあ、と大きな溜息を吐き、好きにしてよと投げ遣りに。
恨みがましく相手を見ると満足そうに笑っていて。
腕から離したその手のひらで、僕の頭をくしゃりと撫でた。
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