子供の頃に返ったかのようだった。
逃げ回る俺の足音と、追い掛けて来る足音と。
時々後ろを振り返り、こっちだよ、と意地悪く笑った。

足音、呼び声、息遣い。
伸ばされる腕、振り切って。










─はやくはやくはやく─










月も沈んだ真夜中の街、ぽつぽつと立つ暗い街灯。
重い静寂、掻き消す足音。吐き出した息は白く、白く。
疲れを訴える足に鞭打ち、脇目も振らずに前へ前へと。

どうして、逃げているんだろう。そんなことは忘れてしまった。
この足を止めてはいけないと、それだけ分かれば十分で。

耳に不快な呼吸の音が肩をすり抜け遥か後ろへ。
後に残るは気管の冷えと、くらくらと揺れる思考だけ。





「月白! 待てって!」

背中で聞いた彼の人の声。
伸ばされる腕が肩に触れ、捕まえた! と耳元に。
それを合図に足を止め、捕まっちゃったと笑ってみせて。
ふたり並んで手を繋ぎ合い、家に帰るのが常だった。

「なんで逃げたりしたんだよ」
「彩白が追っ掛けてくるからだろ」

他愛ない遣り取り、零れる笑顔。
ほら帰ろうと促して、今度は彼が先を行く。
肩越しにこちらを振り返り、良く似た顔が微笑んだ。
夕陽に染まった一本道を並んで歩いたのはいつだったろう。





伸ばされているだろう彼の人の腕。
振り返らなくても分かっていた。
いつも逃げるのは俺の方で、伸ばされる腕を待っていたから。





迫る足音、弾む息。
知らず刻んだ口元の笑み、霞み始めた目は虚ろ。

疲れ果てた足が折れる。咄嗟に伸ばした腕が痛い。
避けた皮膚から溢れる赤を、虚ろな両目は映さない。
じくじくとした痛みと疲れが共に手を取り駆け回る。

「……はやく、つかまえてよ……」

疲れも痛みも無視をして、ふらりゆらりと立ち上がる。
滲んだ赤を服で拭って、再び足を動かした。

捕まらなければ終わらない、果ての見えない鬼ごっこ。
あるはずのない彼の人の腕が、肩に触れるのを待っている。





つかまえた、と囁く声に、砕けた足がようやく止まる。
遅かったじゃない、待ってたよ。
返した言葉に滲んだ甘さ。尖る唇が笑みを刻んで。

差し伸べられた彼の人の手に、己が手のひらを重ね合わせる。
温かくもなく冷たくもなく、同じ温度の肌と肌。
顔を見合わせ互いに笑んで、さあ行こうかと踏み出した。











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