顎の下、喉元に、冷たく鋭利な刃の感触。
目の前にある一対の緋色はとろりと笑み滲ませていた。
くすくすと声を漏らしながら、その手に澄んだ剣を握って。










―対価―










部屋へと戻り錠を下ろし、一歩踏み出した時だった。
不意に腕を強く掴まれ、手荒くその場に引き倒される。
強かに背を打ち付けたため、呼吸の仕方を暫し忘れた。

咄嗟に剣へと伸ばした腕は、けれども剣を抜くことはなく。
ただ目の前にある光景に呆然とするばかりだった。

「……おまえ、」

窓から差し込む月明かり。そこに浮かぶは見慣れた相貌。
鴇色の髪、緋色の眸。抜けるように白い肌。
人形じみた整った顔に笑みを貼り付けた幼馴染。





「なんの、真似だ」
「さあ、なんだろうね?」

押し退けようと試みるも腹に乗られては叶わない。
もがき身じろぐ俺を見下ろし、相手はくすりと笑みを零した。

く、と喉元に刃が食い込む。
思わず一切の身動きを止め、三日月を模す緋色を睨んだ。

「悪ふざけにも程があるぞ」
「ふざけちゃいないよ。割と本気」

す、と細めた紅い目に、冷たい光がちらりと走る。
突き付けられた切っ先に僅かな力が込められた。
血の一滴こそ流れはしないが、痛みは確かにそこにある。
貫きもせず、引きもせず、生と死の狭間で綱渡りだ。





剣の柄へと伸ばした腕が、力を失いぱたりと落ちる。
ふ、と小さく息を吐き、好きにしろと吐き捨てた。

大きく瞠られる緋色の双眸。初めて浮かんだ動揺の色。
訝しみ、眉根を寄せて、低く低く問いを投げた。

「なんで、抵抗しないんだよ」
「……さあな。何故だと思う?」

挑むように目を細めれば、怯えたように震えが走る。
今の今まで微動だにしなかった切っ先までもが小刻みに。
ぷつりと破れる皮膚の感触、溢れた朱が伝い流れて。

痛みに呻く声はなく、変わりに相手が息を呑む。
身を退いた弾みに剣が零れ、硬い音を立て床へと落ちた。
髪幾筋かを断ち切り散らし、掠めた頬から緋色が零れる。

「……あ、」

怯え震える幼馴染の華奢な手首をはっしと掴んだ。
びく、と跳ねる身体を抱き止せ、逃がすまいと腕の中。
はなして、と掠れた声が漏れるも聞こえぬ振りで力を込めた。





弱い抵抗が嗚咽へ変わり、もがく手指が縋り付く。
不安定に揺らぐのは、声音ではなくその心。
救う対価を持たぬこの手で、どうしたら彼を救えるだろう。











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