悲しい目をした大切な人。
柔らかな鳥の鳴き声と、優しい日差しに包まれて。
後ろからぎゅっと抱き締められて、読んでいた本が床に落ちる。
ぱらぱら捲れて開いたページは春の色でいっぱいだった。










─月と絵具─










小さな小さな窓から見える、小さな小さな僕の世界。
少しずつ色を変える庭の草木が秋の色を終える頃だった。
いつもみたいにあの人が来てくれて、僕はお茶の支度をする。
ころころ四角いお砂糖と、甘いミルクをカップに入れて。

僕の淹れたお茶を飲んで、おいしいって、言ってくれた。
赤いきれいな目を細めて、上手になったねって褒めてくれた。
嬉しくて、少し恥ずかしくて、ありがとうがうまく言えない。

俯いて紅茶をちびちび飲んでいたら、ねえ、とあの人が僕を呼ぶ。
なに? と顔を上げてはじめて、悲しそうな笑顔に気が付いた。
両手で包むように持ったカップ、残り少ない紅茶が揺れてる。





「外、出たくない?」





紡がれた言葉に目を丸くして、けれど何も言えなくなった。
赤い目を細めて笑っているけど、困ったみたいな顔をしてるから。
僕を見る目が悲しそうで、今にも泣いてしまいそうだから。

だから言葉が見付からなくて。
考えて、考えて、あの人の袖をきゅうっと掴む。

「あなたも、一緒……?」

悲しい顔をじっと見上げて、小さな声で、ぽつり。
驚いたみたいに丸くなった目が、笑うみたいに細くなる。
泣くのを我慢しているんじゃないかって思った。
顔は笑っていたのに。

「……うん」

あたりまえじゃない、って。
そう言って笑ってくれるけど。
少しだけ、ほんの、少し。赤い眸がゆらりと泳いだ。
嘘だって、わかってしまった。





「……出たい、な……」

小さな声でそう伝えると、くしゃりと泣きそうな顔をして。
慌てる僕を抱き締めて、何度も何度も名前を呼んだ。
震える身体と、しゃくりあげる声。
少し苦しかったけど、そんなことは気にならなかった。

大切な人を泣かせてしまった。
どうしたら、泣き止んでくれるだろう。
もう一度笑ってもらうには、僕はどうしたらいいだろう。

カシャンと小さな音がして、カップが倒れて中身が零れる。
落したままの絵本のページが、少しずつ少しずつ染まっていった。
本棚の奥で埃に塗れた遠い昔の物語。
きれいだけれど、かなしいお話。

この人は知っているのかもしれない。
震える背中を撫でながら、なんとなく、そう思った。





嘘でも、いいよ。
一緒にいられないのはさみしいけど。
だから、ねえ、泣かないで?

お願いだから、もう一度、笑って……?











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