この手を離れたと知りながら、未練がましく夢見る世界。
嘲笑うかのように現れた、受け入れざるを得ない世界。
どちらかひとつを選ぶことなんて出来ない。
選択肢なんてなかったから、受け入れるしか、出来なかった。










─山吹の腕─










「救世主」

呼ばわる声と同時、不意に陰る視界。
はっと結んだ焦点の先に、訝しげな色を宿す蒼い眸があった。
ぱち、と瞬く。
脳裏に描いた面影を重ね、相違点を必死で探した。

「……タイチョ」

呼んだのは誰だっただろう。
正解ではなく、間違いでもない。そんな曖昧な呼び名を紡ぐ。
そうしてから、やっと目の前にいるのが誰かに気付いた。

「なに、どうしたの?」

緩やかに首を傾げてみせれば、不機嫌そうに眉を寄せて。
それはこちらの台詞だと、仏頂面で告げられる。
誤魔化す笑を浮かべつつ、視線を逸らして瞼を伏せた。





再び開いた両の視線は、行き場に迷って手元に落とす。
膝に乗った色の薄い皮膚と、僅かな朱に染まる爪。
祈るように指を絡めて、膝を支えに頬杖をついた。

組んだ指を下唇に押しあてる。
生きているのか死んでいるのか、疑うくらいに冷たかった。
自分の手指であるはずなのに、人形の腕でも嵌めているかのよう。





「救世主?」
「……ああ、ごめん。何だっけ?」

意識を無理矢理引き戻す。
訝しげに眉を寄せた相手に、はぐらかすよな笑みを返して。
首を軽く傾げながら、なぁに? と小さく鳴いてみせた。

「……何か、あったか?」
「何かって?」
「顔色が悪い」

躊躇いもなく伸ばされる腕。
一瞬重なる、誰かの影。
視界に混じる砂嵐。
色を失い、ざらざらと。





「……たいちょう……?」





ひたり、額に触れた手のひら。
厚い皮と剣胼胝の硬さ。
瞬いた隙に影は消え失せ、案じるような蒼にぶつかる。
少し長めの銀色が揺れてた。
ああ、タイチョーだ。

「熱はないな」
「うん」
「無理はするなよ」
「……ん」

こっくり頷き、笑みを返す。
まだ何か言いたげにしながらも、溜息ひとつで背を向けられた。
遠ざかる足音に耳を澄ませて、聞こえなくなるまで目を閉じる。





髪の長さ、蒼の強さ。
靴音のリズムと声の響きと。
ほんの僅かな相違がある。
似ているとばかり思っていたけど、こんなにも違うんだ。
そのことに酷く安堵した。










これ以上はもう重ねない。
重ならないよ、そうだろう?











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