触れないで。そう言いたいのに声が出ない。
触れないで。逃げ出したいのに足が動かない。
触れないで、触れないで。
目を逸らしたいのに、瞬きすら。










─氷鬼─










「花白」

びくり、心臓が大きく跳ねた。
名前を呼ばれただけなのに、全速力で走った後みたいに早鐘を打ってる。
何か言おうと口を開いて、何を言おうとしたのか、何が言いたいのか、解らなくて。
唇は薄く開いたまま、ほんの少し震えはするけど、声も何も出ては来ない。

「どうしたんだ?」

尋ねる口調、眼前の蒼色。
睨まれているわけでもないのに、射竦められたみたいに動けない。
呼吸さえ、儘ならない。

「花白……?」

静かな声に心配の色。
何でもないと言う代わりに、ゆるゆると首を横に振る。
たったそれだけのことなのに、身体がうまく動かなかった。





訝しむように、案じるみたいに、銀閃の眉が顰められる。
ほんの少し屈まれて、俯きがちな顔を覗かれた。

「っ……、……」

慌てて飛びずさろうとしても、いつの間にか手首を掴まれていて。
空いた方の腕が伸ばされる。
熱を計るみたいに、額に触れる大きな手のひら。

ああ、心臓が破裂しそうだ……!

「顔が赤いぞ。風邪でも引いたのか?」

違う、と首を振るつもりだった。
動かなかった。動けなかった。
どうして、何で、と疑問符が回る。
ぐるぐるぐるぐる、嵐のように。





「……あ、の」

やっとのことで紡いだ声は、情けないくらいに掠れてた。
喉から吐き出す一歩手前で、痞えてしまう。

「熱は……ないな」

額から頬へ、頬から首筋へ。
滑る手のひらに身体が跳ねた。
驚きに見張られた蒼い目が、ぱちりと一度、瞬いて、

「俺に触れられるのは、嫌か?」

寂しそうな声がした。
するり離れる手のひらを、とっさに捕まえ狼狽える。
どうしようって言うんだろう。
捕まえて、この後は……?

離すことも出来ずに俯く。
手の中の指が小さく動いた。
そっと手のひらを引っ掻かれるみたいで、ほんの少し、くすぐったい。





「……嫌じゃ、ない……よ……?」

ちらり、上目に相手を見遣る。
蒼い目が、また見開かれた。
ふ、と表情を僅かに和らげ、蒼が優しく細められる。

「そうか」

感情の色の薄い声。
けれど小さく、よかった、と続いた気がして。
注意が逸れた隙に、手の中から指が引き抜かれる。
あっと思う間もなく、気付いたら銀閃の腕の中だった。

背中に回された左の腕と、髪を柔く掻き回す右の手と。
耳元で生まれた囁きに、体中の熱という熱が顔に集まるような気がした。





この心臓が止まったら、この人はどうするつもりだろう。











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