金魚の住まいは水の中。まあるい硝子の鉢の中。
ひらひらゆらゆら泳いでいれば、それで満足。それで幸せ。
歪んで映る硝子の向こうは見えない振りしてすいすいと。
外の世界に焦がれたところで鉢から出られやしないのだから。
─金魚─
仰いだ空には分厚い雨雲。
暗く重く垂れ込めて、次から次へと雫を落とした。
逃げ込んだ花屋の軒先で、雨が止むまで待ちぼうけ。
息継ぎなしの雨の歌を聞くともなしに鼓膜に受ける。
壁に背中を押し付けて、ゆるゆると瞼を引き下ろした。
「……大きいの、か……?」
雨音を裂いた誰かの声に、ふと顔を上げて目を瞠った。
視線の先には見慣れた長身。
買物袋と傘とを持って、驚いたようにこっちを見てる。
「他に誰がいるっての?」
口元だけで、にぃ、と笑う。相手が好まない笑い方で。
案の定、ほんの少し顔を顰めて、それはそうだが、と口篭った。
物言いたげにちらちらと、窺う視線が煩わしい。
「……なに?」
「っ、ああ、いや……」
言い淀んで、視線を逸らす。
僅かに傾いだ買物袋を抱え直して、またこちらを見た。
「傘、ないのか?」
「あったらとっとと帰ってるよ」
「……それも、そうだな」
そうだよ。
なんて笑って告げる。
さっさと帰れと言外に含ませて。
もっとも、気付いた素振りは欠片もなかったけれど。
「ほら」
「なに、」
差し伸べられた腕の先に、しっかりと握られた雨傘の柄。
頭上に広がるそれを見遣って、なに、と呟き小首を傾げる。
「城へ帰るんだろう? 入れ」
「……へぇ、送ってくれんの?」
「もののついでだ。早くしろ」
溜息混じりに零された声に、ほっと胸を撫で下ろす。
あ、なんだ。城に用事があるのね、と。
いらないよ、なんて突っ撥ねようかと一瞬迷って頷いた。
壁から背中をべりっと剥がして、お邪魔します、と小声で告げる。
一歩踏み込んだ傘の下は、思ったよりも狭かった。
男二人で肩を並べているのだから、それは当然のことなのだけど。
「わーぁ、熊サンと相合傘だ」
「……余所見をするな。濡れるぞ」
呆れた声音に笑って返す。
平気だって、と軽く流して。
不意に伸びてきた腕が、ぐいと肩を引き寄せた。
濡れて冷えた服の下、じわりと熱が上がるみたいで。
「……荷物、持とうか」
「いい。気にするな」
濡れないようにと引き寄せる手が、抱き寄せてくれるその腕が、
あんまり熱くて火傷しそうだ。
買物袋と傘の柄を、器用に片手でしっかり持って。
空いた腕で、俺を抱く。
濡れないように。逃げないように。
温かいと思う半面で、その手は俺には熱過ぎる。
触れた部分が火膨れになって、じくりと痛みを伴うみたい。
あたたかな手に触れた金魚は、外界に焦がれてぷかりと浮いた。
焼けて爛れた鱗を散らして、硝子の向こうに目を遣るばかり。
鉢を抜け出た金魚が見たのは、滲むくらいに鮮やかな世界と
残酷な白い手のひらだった。
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