可愛い可愛い弟が、怯えた目をして俺を見ていた。
別に何もしちゃあいないよ。
いつも通りに、接しているだけ。

訳を、理由を、知っている?
きっとね、俺がいるからなんだ。










─噛み合わない歯車─










俺は遠い未来から来た、未来に生まれたあいつ自身で。
それはつまり、花白が救世主の役を果たしたということ。
俺の隣に佇む人を殺したという、動かぬ証拠でしかなくて。

「どうした?」
「……ううん、なんでもない」

怪訝な顔で投げられた問いには首を横に二三度振った。
そうか、と小さく呟いて、尚も物言いたげな視線。

嘘でも、俺は笑わなくちゃ。
これ以上あいつを悲しませないように。
あいつを不安にさせないように。
遠い昔の俺自身を、これ以上傷付けないように。





「ねえ熊サン」
「なんだ」
「俺と花白、どっちが好き?」

俺が、俺の玄冬を殺したことを、あいつが知っているのだろうか。
薄々感付いているのかもしれない。
だから、怯えているのかな。

ぐるりと思考が渦を巻く。出口を求めて、彷徨い歩く。
歩けど歩けど深みに嵌って、抜け出すことなど出来ないのに。

「嘘だよ、冗談。困らせてごめんね」

気にしないでと、そう告げて。
何事もなかったかのように、薄っぺらい笑みを貼り付けた。
眉を顰めた熊サンの目から逃れるように先を歩く。





俺がここへ来たことは、本当に偶然だったんだろうか。
戦なんて存在せず、救世主も玄冬も関係ない。
この上なく優しくて、幸せ過ぎる世界なのに。

出会わなければ良かったと、時々思うことがある。
怯えた色を両目に宿して懸命に笑う花白を見た時とか。
何も知らずに微笑ってくれる、熊サンの優しさに触れた時とか。

知らずにいれば幸せだった?
優しさも、温かさも、俺は持っていたはずなのに。
幼馴染から、あの人から、零れんばかりに与えられていたはずなのに。





いつの間に落としてしまったのかと、空っぽになった両手を見る。
緩く曲がった指を覆う、一回り大きな熊サンの手。
俺よりずっと高い体温がじわりじわりと伝わってきて。

「具合でも、悪いのか?」
「……ううん、ちょっと考えごと」

心配そうな顔をして、俺の顔を覗き込む。
指から額へ手を滑らせて、ひたりとそこへ押し当てた。
熱はないなと言う声に、あたりまえでしょ、と笑って返す。
かえって相手の手のひらの方が、俺の額より熱いくらい。

俺がこうして熊サンに触れることを、花白は快く思ってはいないだろう。
けれど何も言ってはこない。
不安そうな顔をして、怯えた色を両目に湛えて、それでも黙って見ているだけ。

許されて、いるんだろうか。
こうして熊サンの傍にいることを。
玄冬を殺した救世主なのに、花白は許してくれるのだろうか。





「ねえ熊サン」

立ち止まり、振り返って、数歩離れた相手を呼ぶ。
一歩二歩と近付いて来て、どうしたと問われ笑って言った。
到底答えにならない言葉を、伝えたい全てを声に託して。

「ありがとう」

あいつに直接は言えないから、代わりに熊サンに聞いて貰おう。
優しくしてくれて、許してくれて、本当に、ありがとう。
訳が解らないって顔をしながら、どうしたんだと再度問われる。
けれど答えは返せないから、緩く首を左右に振った。










俺はここにいてもいいの?
こんなに優しくして貰って、本当に、いいの?
ねえ誰か、誰でもいいから。
俺の居場所を、誰か教えて。











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