一歩足を踏み入れて、はっと小さく息を呑む。
室内に満ちる濃密な静寂。
それを僅かに掻き乱すのは、耳に聞こえるぎりぎりの息遣い。
併せて上下する背中の主は、机に身を伏せ夢の中。










─睡連─










そろり、そろり、忍び足。
息を殺して近付いて、こっそり寝顔を覗き込む。

それなりに整った顔立ちと、思ったよりも色の薄い皮膚。
鈍い銀色の真っ直ぐな髪、蒼い眸を覆い隠す薄い瞼。
嫌と言うほど見慣れたはずの、けれど違和感を覚えるような。

「居眠りなんて、珍しいな」

机を埋め尽くす書類の山と、蓋の空いたインク壺。
肝心のペンは握られたままで、書類にのたくる蚯蚓文字。
途中まで書いて、力尽きたことは明白で。





「……ったく」

そっと、書類を引き抜いて、起こさないようペンを取り上げる。
インク壺には蓋をして、書類を一山ごっそり抱えた。
想像以上に、重い。

「……ぅ……」

身じろぐ気配、零される声。
はっと身体を硬くして、恐る恐る様子を窺った。
鼓膜を掠める寝息のリズム。
どうやら目覚めはしなかったようで。

こっそり安堵の溜息を吐く。
その拍子、腕に抱えた書類が崩れ、一人慌てて右往左往。
ひらりひらりと散らばるそれらに殺意すら覚えた。










「……ぅん……?」

霞の掛かった思考、焦点の合わない目。
ゆるりと伏せた身を起こし、緩慢な瞬きを二度三度。

「……っ、」

しまった、と我に返るが早いか、
手の中のペンを握り直そうとし、目標物の不在に気付く。
はた、と再び思考が停止した。

片付けた記憶はまるでない。書類の山も見当たらない。
どこへ消えたかと首を捻って、ようやく自分以外の気配に気付いた。





「……はな、しろ……?」

呼んでも応えは帰らない。
相手は生憎、夢の中だ。
だいぶ嵩の減った書類の山と、蓋の空いたインク壺。
手にはペンが握られたまま、ペン先が見事な蚯蚓文字を描いていて。

「……」

そっと、腕の下に敷き込まれた書類を引き抜いて、
ひとまわり小さな手からペンを取り上げる。
残り少ない書類を見遣り、零れた吐息は笑み混じり。





言葉の代わりに髪を撫ぜた。
起こさないよう、触れるだけ。
眠りの障りにならぬよう、そっと、そっと。

ほんの僅かに身じろいで、吐息とも寝言ともつかぬ声。
華奢な肩が冷やさぬようにと、上着を掛けて小さく笑った。
歳よりもやや幼い寝顔、その額には鏡文字。










それがまさか自らの額にもあるとは知らずに……!











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