もう、来ないでね。
にっこりと上辺だけの笑みを刻んで、甘い声でそう告げる。
誰もが絶句し目を見開いて、嫌だ嫌だと子供のように駄々を捏ねた。
ああ、なんて容易いのだろう。人の心を手玉に取るのは。










─椿格子─










ちらりちらりと降り頻る雪。
鳥の翼から抜け落ちた羽か、狂い咲いた桜の花か。
そう見紛うほどに美しいそれ。
いくら眺めても飽きが来ない、かくも不思議な雪の花。

「はなしろ、客だよ」
「……はァい」

襖の向こうから不躾な言葉。
投げ遣りな声で返した。
不機嫌さを隠すこともなく、棘をたっぷり含ませて。





す、と開かれる襖。
横目でちらりと覗き見て、はっと息を呑んだ。
慌てて居住まいを正す。その様を見て、相手の顔に浮かぶ笑み。

「普段通りで構わないのに」
「……来るなら来るって、文くらい寄越してよ」

膨れた頬を指が突く。
その手を掴んで、頬に押し当て、逢いたかったと呟いた。
俺もだと、返す声音がこの上なく愛しい。
けれど。それでも、





「もう、来ないでね……?」





別れる間際に囁く言葉は、誰に対しても変わらない。
ただ、彼の人の前では泣きそうになる。
堪えるせいで声が震える。
それを隠そうと袖を握って、指の先は真っ白に。

「必ず、また来る」

じっとこちらの眸を見据えて、顔を背けようにも顎を掴まれ。
触れるだけの口付けに、もっと、と先を求めそうになる。
これ以上を求めてはいけない。与えられたら、もう戻れない。

「待っててくれるか?」

問われても首を横に振る。
煌びやかな簪が、しゃらりしゃらりと軽やかに泣いた。





待たないよ。待てないよ。
ぼくを待たせるくらいなら、いっそその手で仕舞いにしてよ。
そう口に出来たなら、どれだけ楽になれるだろう。





「……また、来るから」

抱き寄せて、抱き締めて。
先程よりも少しだけ深い口付けを。
背に縋りたくなる手に叱咤して、添えるだけ、触れるだけ。

去り行く背中に投げる視線。
どうか、もうここへは来ないでね。
今日を限りに、仕舞にしよう?

格子の窓の向こう側、ぽたりと静かな音ひとつ。
爪先立って背伸びして、覗いた先に紅い花。





椿のように潔く、首を落として仕舞にしよう。
貴方の手でなら構わない。その手以外に、用はない。






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