トントンと響くノックの音。
書類に落とした視線を移し、扉の方へと意識を向ける。
誰だと問いを投げるより早く、弾んだ声が室内に響いた。
―隠れ鬼―
「銀朱、銀朱! 入ってもいい?」
名を呼びながらの問い掛けを受け、手にした書類を机に置いた。
脳裏に浮かぶ子供の顔。幼い口調が早くと急かした。
少し待てと言い置いて、扉を開けに席を立つ。
取っ手を引いた僅かな隙から小さな体が飛び込んで来た。
「かくれんぼしてるの! 隠して!」
隠して、と言われても。
部屋の中を見回す背中に、苦笑混じりに問いを返した。
「鬼は誰だ?」
「ちっさいぼく!」
そう元気よく答えながら、いそいそと机の下に潜り込む。
両の腕で膝を抱え、小柄な身体を更に縮めて。
辺りの様子を窺うように、机の陰から顔だけを出す。
その様が年相応に愛らしく、微かに笑んで扉を閉めた。
「上手く誤魔化せるかは解らんぞ」
「銀朱うそつくのへたっぴだもんね」
「……煩い」
机の下の春色を撫で、じっとしていろと釘を刺す。
壁際に追い遣られた椅子を引き、普段よりも机との距離を開けて座った。
小さな体を蹴らないように、足は離れた床の上だ。
「ねえ銀朱」
呼び掛けと共に裾を引かれた。
書類を捌く手が止まる。
膝を脇へずらしながら、その足元へ声を投げた。
「静かにしていろ。見付かったらどうする」
「だいじょうぶたよ。銀朱にしかきこえないもん」
甘えるように膝に触れる手。膝と机の隙から覗く目。
交互に見ながら言葉を返した。
普段よりも抑えた声で。
「解らんぞ? 扉の外に誰かいるかもしれん」
意地の悪さを自覚しつつも、足音が聞こえないか? と問いを投げる。
赤い眸がゆらりと泳ぎ、じっと耳を欹てた。
しばらく黙り、口をへの字に、俯いた顔をぱっと上げる。
「じゃあ小さい声でおはなししよう?」
その提案に対して首を横には振らなかった。
文字の掠れたペン先をインクビンに浸しながら、いいだろう、とひとつ頷く。
途端、にっこりと笑んだ顔を見て、たまにはな、と胸中で続けた。
待ちくたびれて眠った子供が鬼に見付かってしまうのは、まだまだずっと先の話。
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