繋いだ手指は冷たかった。
吐き出す呼気は熱を失い、白く濁ることもない。
息遣いと、衣擦れと、足音がそれぞれ二人分。

それ以外には何もなかった。
何の音も、しなかった。










―泥濘―










どこへ向かっているのだろう。
行く宛なんか、ないはずなのに。
ぼんやりとそう考えながら、けれども足は止まらない。
壊れたみたいに前へ前へと地を蹴ることを止めなかった。

パリパリと鳴く街灯を過ぎ、足下の影が夜に喰われる。
ひとつになったふたつの影。影を喰らった夜の闇。
街灯に近付けば影は生まれ、遠ざかるとまた喰われて消える。
あたりまえのことだというのに、それがなんだか不思議に思えた。

「……ねえ、」

不意の呼び声、波紋のように。
響き、広がり、消えてゆく。

聞こえていないはずがないのに彼は反応を返さなかった。
足は前へ、視線も前へ、繋がれた手も変わらずに。
ねえ、と再び投げられた声に、ようやく彼は歩調を緩めた。
肩越しにちらと後ろを見遣り、どうかしたかと紅い目で問う。





掛け替えのない、たったひとりの。
大切な、大切な人。
離れたくないと思っていた。
叶わないことだと、分かっていた。
けれど、





「もう、帰ろう?」

零れて落ちた重い終止符。繋がれた手に力が籠もる。
どちらかの骨が小さく軋み、僅かな間の後するりと解けた。
ほうと息を吐いたのは、果たしてどちらの唇か。

「……そうだな」

頷く気配、苦笑する声音。
今来た道を戻る足。

どちらからとなく手を伸ばし、けれど繋がれることはなかった。
半端に浮かせた手指が触れて、弾かれるように引っ込める。
ごめんと小さく呟く声が意図せず重なり苦笑が漏れた。

空の手指をそれぞれ隠し、家路に就いた影ふたつ。
息遣いと、衣擦れと、微かな足音を引き連れて。
生まれ喰われてまた生まれ出る、ふたつの影を道連れに。





繰り返される逃避行。
今宵もまた、未遂。










摘木さんへ

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