それはあまりにも唐突で、思わずお茶を吹き出しかけた。
どうにか堪えて飲み下し、けれどもげほごほ咳き込んで。
慌てた玄冬に背中を擦られ、大丈夫だよと言うけれど。
玄冬の方こそ大丈夫? と。そう尋ねたらキョトンとして。
耳、と頭上のそれに触れれば、びっくりしたみたいに目を丸くした。
─猫との上手な接し方─
「くーろーと。ねえ、玄冬ってば」
入れてよう、なんて訴えるのは見慣れたひとつの扉の前。
ひやりと冷たい石床が裸足の足先を痺れさせる。
コンコン、トントン、扉を叩き、ねえ開けてよう、と繰り返し。
「っ、やだ、だめ! 入ってこないで!」
「そんなこと言ったって、そこ、俺の部屋だよ?」
「だめったらだめ! 入ってきたら月白のこと嫌いになっちゃうから!」
「それは……嫌だなぁ……」
言いながらそっと手のひらを見る。
もちろんそこには何もない。
けれど残っている気がしたのだ。
先程触れた温もりが。
玄冬の頭に突如現れた三角耳の感触が。
ぴょこんと生えたその耳に、玄冬は驚いてしまったらしい。
あ、可愛い。なんて思ってた俺を、見ないで! と部屋から追い出した。
それからずっとこの調子。
部屋に籠もって出てきてくれない。
「白梟にも調べてもらうし、きっとすぐに治るから。ね?」
「……、だけど、」
「だけど?」
言い澱む気配、涙ぐむ声。
先を促す言葉を投げて、玄冬の返事をじっと待った。
「へん、だもん。おかしいもの、」
「変じゃないよ。よく似合ってる」
「……似合ってなんか、ないもん……」
ああ、きっと涙を零してる。膝を抱えて泣いている。
そう思うような沈んだ声音に、らしくなく焦る自分がいた。
早く早く抱き締めてあげたい。大丈夫だよって、伝えたいのに。
「ね、玄冬。ここ、開けて?」
「……や、だ……」
「だけど玄冬、泣いてるでしょう?」
「っ、泣いてない、もん」
「ウソ。ほら、ね。ここ開けて?」
絶対に笑ったりしないから。
泣き顔だって見ないから。
だからお願い、抱き締めさせて?
扉にひたりと両手を押し当て、ねえ玄冬、と彼を呼ぶ。
ぐず、と鼻を鳴らす音がして、ほんの微かな衣擦れが聞こえた。
躊躇い躊躇い伸ばしただろう手。その指の先が見えるよう。
カチ、と小さな金属音。掛けられていた鍵が、外れた音。
扉を開けて、腕を差し伸べ、小さな体を抱き締める。
玄冬の顔は肩口に埋められ、その表情は窺えない。
けれどもじわりと涙が染みて、艶やかな髪を何度も撫ぜた。
と。
どうしても目線は釘付けになって、知らず知らず手も止まる。
それを不思議に思ったのだろう。玄冬がそろりと顔を上げた。
「月、白? っひゃ、」
あ。と思った時既に遅く、俺の手はふわふわの耳に触れていて。
玄冬は体をびくりと跳ねさせ、涙目できっと俺を睨んだ。
わなわなと唇を震わせて、ぐいっと俺を押し退ける。
「っ、月白の、ばかっ!」
「えっ、あ。玄冬!?」
「もう知らない!」
言うが早いか身を翻し、玄冬は再び扉の向こう。
慌てて腕を伸ばしたけれど錠の落ちる音が無情に響く。
その場にがくりと膝をつき、俺はひとりで頭を抱えた。
玄冬を傷付けてしまった、とか、これからどうしたらいいだろう、とか。
考えることはたくさんあるのに、あるひとつのことがぐるぐる廻る。
目に焼き付いた光景が、どうしても離れてくれないのだ。
ほんの一瞬目にしたものは何も穿いてない玄冬の脚。
そして裾からちょろりと覗いた長く艶やかな黒い尻尾だった。
「猫耳」
ツキネさんへ
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