ゴトンと重い音がして、銀朱の手からグラスが落ちた。
僅かに残った酒と氷が卓上に広がり床へと滴る。
何やってるんだよと声を荒げても不明瞭な声が返るだけ。
珍しく酔っている銀朱を前に、はあ、と重たい溜息を吐いた。
─滴り落ちる火酒を舐め─
月白に連れられ訪れたのは、何故か銀朱の執務室で。
開け放たれた扉の向こうで黒鷹が満面の笑みを浮かべた。
その隣では渋い顔をした銀朱が溜息を吐いていて。
どういうこと、と問いを投げたら、無言でグラスを渡された。
それからどれだけの時間が経ったのか、狂った感覚では分からない。
黒鷹は玄冬に引き摺られて泣く泣く群へと帰っていった。
私は必ず帰って来るぞぅ! とかなんとか叫んでいたような気がする。
月白はふらりと部屋を出たきり待てど暮らせど帰ってこない。
廊下で行き倒れているんじゃないかと思ったけれども放っておいた。
そこまで面倒見てらんないよと頭の中から追い出して。
問題は、と視線を転じ、向かいに座った銀朱を見遣る。
黒鷹と月白の勢いに負けて勧められるまま飲んでいたみたいだけれど。
平然としているように見えたのに、だいぶ酔いが回ったらしい。
転がしたグラスを拾うはずの手は、見事にすかっと空を掴んだ。
とにかく仮眠室へ連れて行こうと肩を貸して無理矢理立たせる。
呂律の回らない口で、花白? と不思議そうに僕を呼ぶ。
それには答えず扉に手を伸べ、苦労して開けたまでは良かった。
一歩二歩と歩み進んで、寝台まであと少しとなった時。
がっ、と何かに蹴躓き、身体がぐらりと大きく傾いだ。
体勢を立て直そうとしたけれど、足が縺れて叶わない。
待ち受けている衝撃に備え、ぎゅっと両の目を瞑る。
けれども僕の予想に反して、柔らかな感触に出迎えられた。
ああ寝台の上なのか、と一息吐こうとしたけれど。
開いた視界いっぱいの、銀朱の顔に息が止まった。
「ちょ、と! 退けって!」
あまりの近さに声が上擦る。
伏せられていた瞼が震えて、焦点の危うい蒼色が覗いた。
ぱし、と緩慢に瞬いて、また花白と僕を呼ぶ。
酒に焼かれて掠れた声が、普段より熱の高い吐息が。
耳朶を擽り鼓膜へと落ち、首筋を掠めて背筋へ伝った。
「っ、」
カッと頬が熱くなって、堪らずふいと顔を背ける。
これはきっと酔っているせいだと、そう思い込もうとしたけれど。
花白、と再び名を呼ばれ、何だよ! なんて返そうとして。
「んっ、」
顎を掬われ、口付けられて、頭の中が真っ白になった。
閉じることを忘れた唇の隙から銀朱の舌が入り込む。
歯列をなぞり、口蓋を擽り、僕の舌を絡め取った。
息継ぎの間なんてあるはずもなく、息苦しさから涙が滲む。
放せと胸を叩いていた手はいつしか銀朱の服を握って。
絡め取られた舌だけが、別の生き物みたいに動いた。
始まりは唐突だったくせに、離れる時は緩やかで。
そっと取られた僅かな距離を唾液の糸が束の間繋いだ。
「花白、」
息も整わないうちに、熱を孕んだ声で呼ばれる。
零れそうな涙を拭う指も、いつもよりずっと熱くって。
くすぐったさに身じろいだら、そっと頬に手を添えられた。
頭の中で誰かが叫ぶ。
まだ間に合うと。突き放せ、と。
流されるなと声高に、忠告を投げてくれるけど。
けれども思考は酒で濁って、その声を拾うことすら出来ない。
相手の顔が近付いてきて、今度は触れるだけのキス。
一度だけじゃなく、二度、三度。
額にひとつ、両頬にひとつずつ、鼻先と唇にも掠めるように。
こんな風に触れられたことは今だかつてなかったことで。
くすぐったいような、気恥ずかしいような、なんとも言えない気分になる。
ちゅ、と小さな音をたて、銀朱の唇が肌から離れた。
いつの間に釦を外されたのか襟元は大きく開かれていて。
覗いた肌に手のひらが触れ、そこにも唇が落とされた。
「っ、あ……!」
胸の突起を口に含まれて、背筋にびりりと快楽が走る。
慌てて口を手で押さえ、声を殺そうとしたけれど。
その手を取られ引き剥がされて、堪え切れずに声が漏れた。
僅かとは言え酒を飲んだからか、普段よりも自制が効かない。
口を開けば声が漏れるし、触れられるだけでも身体が跳ねる。
手首の拘束は存外に強く、ちょっとやそっとじゃ外れそうにない。
呼吸の合間にはなしてと紡げば、銀朱の動きが束の間止まって。
ふ、と淡く笑んだ後、呆気なく手首は開放された。
けれど、
「あッ……ゃ、ン……、ふ……っ!」
不意に中心に触れられて、上擦った声が迸る。
生温かく湿った感触と、時折感じる相手の吐息。
下肢に埋められた相手の頭の、銀色の髪を咄嗟に掴んだ。
けれど力が入らない。思考も、うまく纏まらない。
酒の影響か、快楽のためか、そんなことはもう分からなかった。
煽られる熱に浮かされて、与えられる快楽にただただ喘ぐ。
自分でも呆気ないと思うくらいに、僕は熱を吐き出した。
相手の喉の鳴る音を聞き、居た堪れなさに目を伏せる。
塞がれた唇、舌に滲む味。息苦しさにまた喘いで。
突き放そうと胸を押す手は力が入らず添えるだけ。
するりと後ろに手が回されて、指が一本埋め込まれた。
声は引き攣り背が撓り、咄嗟に銀朱の背に縋る。
力加減など出来るはずもなく、ぎちりと背中に爪を立てて。
相手の耳元で喘ぎながら、その感覚に身を震わせた。
ぐず、と熱を押し込まれ、枯れ掛けた声がまた迸る。
突き上げられて、揺さぶられて、泣いて啼いて必死で縋った。
与えられる快楽を受け入れるだけで、他のことはもう頭にない。
行為の最中に名を呼ばれ、滲む視界に相手を映して。
すっかり枯れた声を絞って、途切れ途切れに呼び返したら。
今までにない柔らかな笑みで、優しく深く口付けられた。
あれから何度身体を繋げて、どれだけ達してしまったのだろう。
ぼんやり開いた両の視界は朝を待ち受ける薄青色で。
起き上がろうと込めた力に体のあちこちがぎしりと軋む。
小さく呻き、息を吐き、再び寝台に身を沈めた。
ふいと転じた視線の先にはだらりと伸ばした自分の腕が。
そこに点々と散らされているのは、赤く色付く鬱血痕。
腕に、胸に、腹に足に、色鮮やかに施されていて。
「……、……っ」
じりじりと灯った感情に、思考は千々に乱される。
痕を残されたのは初めてだった。
気恥ずしさとか嬉しさだとか、そんな感情が綯い交ぜになる。
堪らず顔をシーツに埋めて、火照った頬を必死で隠した。
ばふっと柔な音がして、隣でびくりと震える気配。
僅かに顔を持ち上げて、見遣った先には銀朱の頭。
枕に顔を埋めるようにして、眠っているものだと思ったけれど。
銀色の髪から僅かに覗く貝のような耳は真っ赤になって。
「……」
どこからともなく湧いて出たのは腹立たしさにも似た何か。
それに従い足を上げ、相手の脇腹を一発蹴った。
ぐっと呻く声を聞きながら、フンと鼻を小さく鳴らして。
物言いたげな視線を受けても口を噤んで気付かないふり。
相手を視界から追い出して、再び目を閉じ狸を気取った。
酒に呑まれてしまっていたのは、もしかしたら僕の方かもしれない。
あんな風にされたというのに嫌悪の欠片もないのだから。
悪かった、なんて。すまない、なんて。
そんな言葉は欲しくない。そんな言葉じゃ許さない。
もう少ししたら目を開けて、ちゃんとした言葉を強請ってみようか。
他に言うことがあるだろうって。少し困らせてやるとしよう。
リクエスト内容(意訳)
「酔って花白を襲ってしまう銀朱」
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