嵩張る割に軽い荷物を右に左に持ち替える。
その度、腕を伸ばすのだけど、呼び鈴を押すには至らない。
迷い躊躇うその指先が、ふとした弾みでボタンを押して。
ポーンと響いた軽やかな音に、ひゅっと小さく息を飲んだ。
─夕化粧─
応答の声、近付く足音。ガチ、と鍵を回す音。
開かれる扉の向こう側から見知った顔がひょいと覗いて。
かちりぶつかる視線と視線。瞬きも忘れて思わず見入る。
ふ、と相手が息を吐き、口端を僅かに吊り上げた。
「遅かったな」
「……悪かったね、遅くて」
咄嗟に返した憎まれ口を銀朱が気にした素振りはない。
まあ入れ、と促されるまま、靴を脱いで一歩二歩。
と、提げていた荷物を横から取られて、え、と頓狂な声が漏れた。
「何だ」
「なに、って……荷物……」
自分で持てると訴えたけど、部屋までだから気にするな、と。
言って足早に進むものだから、慌ててその背を追い掛けた。
「だいたい、心配し過ぎなんだよ、あいつ」
「……そうか?」
「だって僕もう16なんだよ? 一日や二日ひとりにされて、泣くとでも思ってるのかな、もう」
僕以外の兄弟が揃いも揃って、それぞれの用事で家を開けると言う。
一人で夜を明かすのは、そう言えば初めてのことかもしれない、なんて。
ちょっとだけ、ほんの少し、楽しみにしていたというのに。
何かあったらいけないからと、そう言っていたのは長兄だったか。
次兄もそれに頷いて、ぐっと距離を詰めこう囁いた。
「何にも心配いらないよ。ちゃあんと銀朱に頼んであるから」
花白は寂しがり屋だからね、と。
そう告げた兄の横っ面を殴らなかった自分を褒めてやりたい。
代わりに満面の笑みを浮かべて、一生帰ってくるな馬鹿、と低く囁いてやったけど。
ぶちぶちと零すその間中、銀朱が微笑っているように見えて。
何、と投げても首を振るだけで、言葉を返してはくれなかった。
食事もお風呂もちゃんと済ませて、あとは寝るだけ、となった頃。
宛がわれたベッドに寝転びながら、ふいと視線を床へと落とす。
無造作に敷かれた一組の布団。そこに横たわる銀朱の姿。
「……ねえ、」
「何だ」
「ベッド、ほんとに使っちゃっていいの?」
仮にも居候させてもらうのだから、床で寝ることくらい考えていたのに。
まさかのベッド。しかも銀朱の。戸惑うなと言われても無理な話だ。
「おまえを床で寝かせたと知れたら、何を言われるか分からないからな」
少し困った風に言って、くつ、と小さく喉で笑う。
ベッドの端にいる僕の頭を伸びてきた腕がくしゃりと撫ぜた。
小さい頃にしてもらったのと、ちっとも変わらない仕草と力で。
子供扱いするなよ! なんて、噛み付くみたいに言うけれど。
その手と指の心地好さに、こっそり両の視界を細めた。
「甘やかすなと、言われてはいるんだが、な」
「え?」
ほろりと零された密やかな声。聞き取れなくて小首を傾げる。
けれども銀朱は口を噤んで、それから緩く首を振った。
「……いや、なんでもない。もう遅いぞ、早く寝ろ」
ぽん、と軽く頭を撫ぜて、それきりその手は離れてしまう。
なんなんだよとぶすくれた顔で、じとりと蒼を睨んだけれど。
おやすみ、と静かに囁かれたら、同じ言葉を返すしかなくて。
もそもそ潜った毛布の下で、くしゃくしゃになった頭に触れる。
懐かしい感覚、でも、昔とは違う。
大人になった手と指の、力強さだとか優しさだとか。
ひとつひとつ拾い上げて、飲み込んで、抱き締める。
ふふ、と零れてしまいそうな、そんな笑みを必死に堪えて。
どこからかふわりと漂ってくる甘い香りに目を閉じる。
懐かしい匂いに包まれながら、夢の水面へ意識を流した。
リクエスト内容(意訳)
「お泊まり」
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