真夜中の回廊は静まり返り、自分の靴音がやたらと響いた。
控えめに叩いた扉の向こう、こちらへ近付く足音を聞く。
キィと軋んだ蝶番、隙から覗く見慣れた顔。
驚いたようにみはられた目が、きょとりと一度瞬いて。
扉の隙をぐいと広げ、入る? と小首を傾げてみせた。
―祝福のダリア―
招かれるままに足を踏み入れ後ろ手にパタンと扉を閉める。
室内を薄く照らすのは、ちびた蝋燭ひとつきり。
窓から差し込む月灯りの中、淡く浮かんだ見慣れた笑顔。
「晴れの日を控えた花婿さんがこんな夜中に何の用?」
「寝付けないだけだ。少し付き合え」
「へぇ、珍しい。おまえでもそんなことあるんだ」
言いながら相手は小さく笑い、座ってて、と椅子を示す。
促されるまま腰を下ろせば間近にカチャンと硬い音。
手元に置かれた白磁の器と、そこから立ち上る淡い湯気。
鼻先をふわり掠めた香りは記憶に馴染んだ香茶のそれで。
「……酒じゃないのか」
「明日になれば嫌ってほど呑まされるだろ。我慢しろって」
ぽつと零した言葉を拾い、相手は口元に弧を描く。
卓上にトンと肘をつき、茶器を手に取り唇を寄せた。
ふ、と水面を撫ぜる吐息と、それに吹かれて消された湯気と。
喉がこくりと上下する様に知らず見入っていると気付いた。
視線を外し、目を伏せる。
相手に倣って含んだ香茶の仄かな甘さが鼻から抜けた。
「お嫁さんさ、いい子だね」
吐息混じりに投げられた声に僅か両目を見開いて。
会ったのか、と小さく零せば、何度かね、と淡く微笑みそう紡ぐ。
「家の決めた相手だがな」
「けど好きでしょ?」
「……まあ、な」
口篭りながら言葉を返せば、くすくすころころ笑う声。
照れ臭いのだと思ったのだろう。
悪戯っぽく目を細め、口元に緩く弧を描いた。
「家柄よし、性格よし。可愛いし、芯もしっかりしてる」
ひとつふたつと指を折り、それからちらとこちらを見遣った。
どこか含みのある笑みを向けられ、自然と眉間に皺が寄る。
けれど相手はどこ吹く風で、それに、と更に言葉を続けた。
「それに何よりおまえのことをちゃんと好いてくれてるし」
と、言って温んだ香茶を一口、こくりと飲み干し息を吐く。
ほう、と零れたその呼気に、花の香りが仄かに混じった。
本当は、と過ぎった想いは蓋する間もなく脳裏を廻る。
心から幸せにしたいと願うのは婚約者である女性ではなくて。
家庭を持つことの許されない、たった一人の幼馴染だ。
それを相手に伝えたとしても月白は喜びやしないだろう。
俺は充分幸せだよと困ったように微笑うだけで。
好いた相手と添い遂げたくとも、それが叶うことはない。
救世主の血を残せるのは始祖の血を引く家系のみ。
月白の血は受け継がれぬまま、彼一代で絶えてしまう。
代わりに始祖の血を継ぐ俺が子を生す義務を負っているのだ。
次代の救世主の為に、始祖の血脈を絶やさぬ為に。
「幸せにしてあげなよ?」
「……、……ああ」
投げられた言葉に頷き返し、残り少なな茶を煽る。
喉焼く熱さは既になく、空の器に目を落とした。
不意にそれを取り上げられて顔を上げると微笑む緋色。
こぽぽと新たな香茶が注がれ、再び花の香が立ち昇った。
リクエスト内容(意訳)
「隊長の結婚前夜 政略結婚 隊長の最愛は未来救
(救世主は隊長家以外に救世主の血筋を存在させないよう生涯独身の義務を負い、
隊長は次代の救世主の為に子孫を残す義務を負う)」
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