救世主たる青年が玄冬である男を殺めた瞬間、主の興味はこの庭から逸れた。
詰まらなそうな顔をして、ガリガリと無造作に頭を掻く。
見慣れたはずの仕草だのに背筋が冷えたのは何故だろう。
考えるまでもないのだと、知っていながら目を伏せた。










─あなたの庭はどんな庭─










彼の人から箱庭を譲り受けたのはつい先程のことだった。
聞き届けられてしまった願いを抱え、数歩離れた相手を見る。
彼の人の目が映しているのは、この世界ではないらしい。

「本当に、この箱庭から出て行かれるのですね」
「不満か?」
「……いいえ?」

首を傾げて笑みを繕い、紡いだ言葉は赤く、赤く。
相手は僅かに顔を顰めて、フン、と小さく鼻を鳴らした。

「この庭は用済みですか」
「分かりきったことだろう」

何を今更とでも言いたげな目が不機嫌そうに細められる。
幾度となく繰り返されてきたことだ。
見慣れている、はずだった。





行かないでほしいと口にしたとて、彼は振り返らないだろう。
気が遠くなるほどの長い月日をすぐ傍らで送ってきたのだ。
考えずとも、それくらい分かる。

今この場にいない片翼が知ったら主を止めようとするだろうか。
だとしても、彼の人の気を変えることなど到底叶うはずもない。
加えて歳若い同胞が知るには、あまりに酷な現実だった。
主に見限られた箱庭の末を彼の若鳥は知らないのだから。

報せなかったことを責められるかなと頭の片隅でちらりと思う。
けれど彼の鳥を呼ぶ気にはなれず、ただただ主を両目に映した。
紫水晶のような目は、やはり遠くへ向けられている。
そこにあるのは理想を描いた、まだ見ぬ新たな箱庭だろうか。





「どうぞお気を付けて。あまりご無理をなさらないように」
「……フン」

最後の最後まで浮かべ続けた上辺だけの薄い笑み。
踵を返した白い猫背と揺らめく銀糸を目に焼き付ける。
仮にこの庭に滅びが訪れようとも彼の人が戻ることはないだろう。
かつて壊した数多の庭を顧みることがなかったように。

箱庭を創る彼の人は、まるで子供のようだった。
淡く儚い硝子球を、創っては壊し、壊しては創り。
寝食を忘れて没頭したかと思えば、一度飽きると放り出す。
失敗だという一言と共に砕かれた庭が幾つあっただろう。

「そんなことで、あなたの理想が叶うんですか。主、」

数え切れない失敗を繰り返し、その度に硝子球を打ち捨てた。
苦い思いとは裏腹に、きらきらと光を弾く破片が美しかったことを覚えている。
掻き消えた背中を瞼に描いて自嘲の形に口元を歪めた。





彼の人の手による箱庭はとてもとても美しかった。
見ていて胸が痛むくらいに、美しくも哀しい庭だったのだ。










リクエスト内容(意訳)
「研究者が箱庭から出て行く直前のお話」

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