カツカツと響く足音は、数歩分の隙を空けていた。
手を伸ばせば届くはずの距離。けれどもそれが果てしなく遠い。
歩く度に揺れる髪は、きっとさらりとしているのだろう。
最後に触れたのはいつだったろうかと意識の片隅ちらりと思った。
─羨望の指─
ついてくるなよ、と噛み付くように、つっけんどんな声がした。
行く先が同じなのだから仕方がないだろう。
そう言い返せばフンと鼻を鳴らし、次いでじとりと睨まれた。
邪魔をするなと言いたげな、強い光を宿した視線で。
歩み至った扉の前で、不意に彼女はその足を止める。
服の裾をちょいと摘んだり、髪を手櫛で整えたり。
年頃の娘らしいそんな素振りに、自然と頬が緩む気がした。
「……なに見てんの」
「いや。入らないのか?」
「っ入るよ! ……これから」
むっとした顔で口を尖らせ、未だに自らの格好を気にして。
どこか不安げな表情をしながら、手の甲で扉を軽く叩いた。
入室を促す声を聞き、白い手が取っ手に掛けられる。
おまえは後、と吐き捨てる声に、黙ったままで頷いた。
待たせては何だからと入室を許され、扉の傍らでじっと待つ。
相当な距離が開いていたため、交わされる言葉の中身までは聞こえない。
けれども二人の表情は、嫌でもはっきりこの目に映った。
救世主である花白と、その守護者たる白の預言師。
向き合い言葉を交わす二人は神話のように美しかった。
僅かに乱れた髪を梳く手は楽師のように繊細なもの。
同じ性を持つというのに自分の手指とは大違いだ。
軍人らしく皮の厚い手のひら、幾つも出来た剣の胼胝。
指はごつごつと節くればかりで、繊細さの欠片も窺えない。
この手では、叶わないのだろう。
彼の人のように花白の髪を梳き、頬を撫ぜてやることなんて。
触れればきっと壊してしまう。剣を握ったこの手では。
花白は仄かに頬を染め、はにかむように微笑んでいた。
うれしそうに、しあわせそうに。くすぐったそうに首を竦めて。
その赤い目に滲んでいるのは隠し切れない確かな感情。
庇護者に対する信頼や、尊敬の念に混じった想い。
彼の人は、それを知っているのだろうか。
知っているのだとしたら、これほど残酷なことはない。
必死に救世主を演じ続けて、子供はその手を血に染める。
似合わぬ剣を腰に佩き、罪人の命を刈り取りながら。
辛いだろうに、苦しいだろうに、それを欠片も悟らせない。
護りたいと思っても、この両腕では叶わないのだ。
第三兵団に身を置いていながら彼女との距離は開くばかりで。
花白を護ることはおろか、涙を拭ってやることすら出来なかった。
傍に在ることを許されただけで、俺は何もしてやれない。
思考とも呼べぬ物思いの欠片を零した呼気に混ぜて散らした。
強く握った拳から、力を抜いて指を解く。
カツン、と鳴った踵の音に、伏せていた目をゆるり開いて。
「何、ぼーっとしてんの。あの人が呼んでる。早く行けって」
「花白。そのような言葉遣いではいけませんよ」
「……はい、」
柔い口調で窘められ、しゅんと僅かに項垂れる。
失礼しますと声を投げ、脇をすり抜けるその刹那。
花白の顔に浮かんだ翳と眸に宿った暗い色。
はっと振り返った視線の先で、彼女の背中は扉に消えた。
リクエスト内容(意訳)
「白梟(男)←花白(女)←銀朱」
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