見慣れたものであるはずなのに、琴線を掻く微かな違和感。
不安に駆られて紡いだ名前は誰の耳にも届かずに。
掠れた声で何度も何度も大切な人たちを呼ぶけれど。
応えは返らずただ風が吹き、長い前髪で視界を塞ぐ。
長い廊下に立ち尽くし、俯く俺の肩に手が。
ぱっと振り向き見開いた目に、見慣れぬ顔が映り込んだ。
─忘却─
顔立ちが似ていた。纏う空気も、似ている気がした。
鈍い銀色に輝く髪は、彼より少し短くて。
僅かに瞠られた一対の目も、彼のと同じ蒼い色。
よく似ている、けれど違う人。
だれ、と紡いだ声が掠れて、喉の渇きに今更気付いた。
「……、月白」
「え」
不意に呼ばれた自らの名に、きょとりと一度瞬いた。
真っ直ぐにこちらを見据える視線がなんだか少し居心地悪い。
眉間に寄せられた皺すらも、彼と本当に良く似ていた。
名を呼ぶ声の低い響きも、写し取ったかのようで。
もしかして親戚の人だろうか。
それで、俺のことを知っている……?
「えっと、」
落ちた沈黙に耐えかねて、躊躇い躊躇い開いた口。
何を言おう、どう話し掛けよう。
そんなことばかりが脳裏を巡る。
「銀朱の弟さん、とか?」
苦肉の策で投げた問い。けれど相手は首を振る。
ゆるゆると横へ、否定の意を込めて。
こちらを見る目が悲しげに歪んだ。
「覚えて、いないのか……?」
「……もしかして、どこかで会ったかな……?」
困り果てて紡いだ言葉に相手は大きく目を見開いた。
信じられないとでも言いたげな顔で、震える唇を噛み締めて。
何故、と零れた低い声音が、なんだか今にも泣きそうだった。
「あの、ごめん。ごめんね、その、覚えてなくて」
慌てて言葉を紡いだけれど、相手は首を振るばかり。
気にするな、とか、大丈夫だ、とか。
突き放すような言葉が返る。
彼より少しだけ幼く見えて、俺と同い年くらいかと思った。
俯いてしまった顔を覗き込んで、泣かないで、と手を伸ばす。
触れた途端にびくりと震えて、頬を辿った手が弾かれた。
ぱん、と響いた乾いた音に、驚いたのは彼の方。
狼狽るように蒼が泳いで、そのまま足元へ落ちてしまう。
すまないと零れた謝罪の言葉に、平気だよ、と笑いかけた。
どこか馴染まぬ空気だとか、見知った顔がひとつもないことだとか。
不安に潰されそうになる中で、思わず縋ってしまいそう。
似ているだけの、違う人に。涙を流さず泣いている人に。
落ち着いたら、名前を聞こう。
それから他の皆のことも。
銀朱や花白や熊サンが、どこへ行ってしまったのかを。
そっと窺う相手の顔は、未だ苦しげな色をしていた。
弾かれた手のひりつく痛みが、なかなか治まってくれそうにない。
月白、と再び名を呼ばれ、なぁに、と薄く微笑んで返す。
蒼い眸に滲んだ悲しみが、目に焼き付いて離れなかった。
リクエスト内容(意訳)
「未来に戻ったら自分や本来の世界の記憶がなく、銀朱や優しい世界のことだけを覚えていた救」
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