この両耳に声は聞こえなかった。
ただ華奢な肩が小刻みに震え、押し殺した嗚咽に呼吸が乱れる。
それすらも気配を拾うや否や貼り付けた笑みの下へと消えた。
─歪な微笑─
幼い頃、初めて目にした救世主の姿は、あまりにも小さくか弱いものだった。
産着に包まれ目を閉じて、すやすやと眠る赤ん坊。
小さ過ぎる手、柔い肌。泣く声はどこか弱々しく、子供心にも心配で。
故に今でも目で追ってしまう。
幼馴染であると同時に歳の離れた弟のような彼の姿を。
「救世主、いるのか?」
扉を叩き、投げた声。
内部に蠢く気配はひとつ。近付く足音に滲んだ焦り。
開かれた扉、覗く顔。にこりと微笑む緋色の目。
けれど目尻は赤味を帯びて、頬には涙の筋が残っていた。
「どうしたの? 何か用?」
「、ああ。今日の、演習についてだが」
動揺を悟られまいとして、咄嗟に紡いだ半端な嘘。
普段通りを装うように相槌を打つ様が痛々しい。
「隊長?」
「っ、……なんだ」
「なんか、考えごと、してる?」
ことりと首を傾げつつ、こちらの顔を覗き込む。
姿形が大人びても、仕草や内面は幼いままで。
双肩に掛けられた荷の重さばかりが日を追う毎に増していく。
その荷を代わりに背負ってやれたら、彼は泣かずに済むのだろうか。
「いや。珍しく真面目に話を聞いているようだったからな。少し驚いた」
「なんだよそれ」
「いつもそうだと助かるんだがな」
誤魔化すように言葉を続け、にやりと口元を歪ませる。
ぷくりと頬を膨らませ、子供は不満を露わにした。
口を尖らせ目を座らせて、上目にじとりとこちらを睨む。
心の内では泣いているのだろうに、それを欠片も見せぬままで。
「いつも真面目に聞いてますよーだ」
「そうか。それは悪かった」
投げた言葉と繕った笑みと、伸ばした腕に跳ねた肩。
触れる寸前その手を止めて、苦笑しながら引き戻す。
救世主として負わされたのは、白い手のひらを緋に染めること。
救済と称した罪人の処刑と、玄冬を殺める春告げの儀式。
日取りこそ定められてはいないが、その時はいずれ訪れる。
大人になりきれず、子供でもいられず、狭間で揺れる救世主。
十を幾つか数えただけの幼馴染には重過ぎるそれ。
常に傍らにいたからこそ、助けたいと、そう思った。
だのに伸ばした腕は届かず、彼の心は閉ざされる。
自ら塞いだ穴の底で、膝を抱えて、嗚咽を堪えて。
世界を救う子供の心は、いったい誰が救うのだろう。
重過ぎる荷を背負わされ、涙することすら出来ない子供。
どうかどうかと願うばかりで、空の両手を握り締めた。
リクエスト内容(意訳)
「29歳隊長→19歳救」
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