窓辺へ運んだ椅子に座し、灯りも点けずに仰いだ夜空。
煌々と照る月光の下、ぱたり滴る音を聞く。
右手の中には華奢な懐剣。淡い光を弾いてきらり。
左の腕はくたりと落ちて、ひとつふたつと緋色を散らした。
─模倣─
何気ない様を装うことは別に苦しいことじゃない。
へらへら笑って、軽口を叩いて、それなりに過ごせば済むことだから。
愛想笑いに疲れたなんて、思ったこともなかったのに。
「……また、やっちゃった……」
ぽつ、と零したひとりごと。
重なるように滴る音が、さっきからずっと止まらない。
床を染める赤は暗く、墨でも散らしているみたいだった。
不意に届いた足音と、扉を叩く軽い音。
はっと呼吸を飲み込んで、捲った袖を慌てて下す。
蹴るように椅子から立ち上がり、細く細く扉を開いた。
「どうか、した?」
繕った笑顔、問い掛ける声音。
佇む相手は眉を寄せ、まだ起きていたかと苦言を零す。
寝付けなくてさと返しながら、早く行って、と心で念じた。
いまは駄目だ、話したくない。
浮かべた笑顔が歪まぬように、目元口元へ意識は向かう。
だから、気付くのが遅れてしまった。
「……月白、」
「え?」
「腕、どうした」
腕、と言われて息を飲む。
白い白い布地には、じわり広がる赤い色。
床へと向いた指の先から落ちた滴がぱたりと鳴いて。
瞬く間もなく腕を掴まれ、無理矢理部屋へと押し入られる。
閉じた扉、落とされた錠。
眉間の皺は濃く深く、纏う気配は刺々しい。
開け放した窓、置き去りの椅子。
その周辺を染める赤。
来い、と引かれた腕が軋む。
抵抗なんて出来るはずもなかった。
有無を言わさず寝台に座らされ、袖をぐいと捲られる。
擦れた痛みに小さく呻くと、すまん、と小さな謝罪の声。
月光の下に晒された傷。映した蒼が細められる。
待っていろと告げる口調は普段からは想像出来ないほどの強さで。
言われるがまま動かずにいたら、溢れた赤が零れて、ぱたり。
「なぜ切った」
消毒液で傷口を拭い、玉を結ぶ血を何度も拭って。
問いを投げる声音は硬く、目を合わせることが出来なかった。
黙したままで俯いて、ゆるゆると首を横に振る。
分からないのかと問う声に、こくりとひとつ頷いた。
「もうやるなよ」
「……うん」
「月白」
咎めるように名を呼ばれ、肩が跳ねるのが自分でも分かった。
嘘でもいいから頷いておけばよかったんだ。
そう思う自分が嫌で嫌でたまらない。
はあ、と深い溜息が零れ、傷を押える手が離れた。
おどおどと様子を窺ったら、動くな、と静止の声がする。
捲くられた袖、現れる腕。抜き身の短剣が月光を弾く。
何を、と問う間も止める暇もなく、刃が彼の腕を裂いた。
悲鳴を上げて彼の手を取り、何してるの! と甲高く叫ぶ。
足元に落ちた短剣が爪先にぶつかりカランと鳴いた。
滴る血など気にも止めず、蒼い蒼い目がこちらを見る。
取り乱す俺を一瞥して、何を驚く、と静かな声。
小馬鹿にするように鼻で笑われ、カッと頭に血が上った。
「な、んで……そんなこと、するの……!」
「おまえと同じことをしただけだ」
しれっと告げられ言葉に詰まる。
喉に痞えた呼気や想いが溢れる手前で渦巻いた。
ぐるり混ざって嵩を増し、目からぼろりと零れてしまう。
嗚咽を堪える喉が痛い。目に映る赤い傷が痛い。
泣きじゃくる俺の背中を抱いて、もうするなよ、と優しい声。
躊躇い躊躇い頷いて、ごめんなさいを繰り返した。
ぱた、と滴る小さな音。涙と血とが奏でる音。
今更のように傷が痛んで、縋る手指に力を込めた。
リクエスト内容(意訳)
「痛切ない隊救。救の自傷」
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